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教育長の部屋(2015年 7月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年7月10日更新

「働く」ということ

 7月5日、旧大恩小学校の校舎内に「農村博物館」がオープンした。地元の地域起こしグループが、世界農業遺産を守ると同時に、国東地方の農業の歴史を後世に伝えようと、昔の農具や生活用品等を収集・展示したものである。 さて、テープカットの後、「博物館」の見学をした。私も農家のせがれ、なつかしい農具や生活用品等がたくさん展示してあった。

例えば、「飛行機モウガ」と呼んでいた農具は、牛に引っ張らせて田をすく農具で、おとなが乗ると牛にとっては重く、子どもの体重がちょうどよいらしく、私たち子どもの仕事だった。 「モウガ」に乗っているうちに牛がピタリ立ち止まり、しっぽを高く上げたかと思うと、ウンチをペタンペタンと落としていたことも思い出す。

 もうひとつは、名前は忘れたが、七島イを「わく」道具もあった。「わく」とは、「分く」の意味だと思うが、ピアノ線か何かの針金を1本、ピンと張った道具で、その線に七島イを割り入れ、引っ張って半分にする道具である。子どもにもできる仕事であり、また、1輪わくと親から5円をもらえるとあって、毎晩手伝った。何輪わいたか、ノートに「正」の字をメモしていって小遣い稼ぎをしていたことを記憶している。

農耕

 田植えや稲刈りもよくやらされた。そのためのの農具もたくさん集められていて、種まき機、田植え縄、草取り機、あるいは収穫時に使われた千把こき、足踏み脱穀機、とうみなどがあった。これらの農具を小学生が使ってするということはなかったが、田植えだけは小学生だろうが中学生だろうがさせられた。

つらい思い出だけではない。田植えの時の唯一の楽しみは、「おこびり」という、いわば「おやつタイム」で、まだ当時は珍しかった菓子パンなんかが出てくると、うれしさも倍だった。

今考えると「大変だった」とか「つらかった」と思い出す仕事ではあるが、昔はみんながしていたので、そうするものだと思っていた。テレビやゲーム機があるわけではなかったので、寝るまでの時間を手伝いに費やしていたとも言える。

昔を懐かしんで、「昔はよかった」などと言っているのではない。現代の子どもたちに昔と同じ仕事をさせなさいと言っているのでもない。家族の一員として、家族の中での自己存在感を感じさせるためにも、現代っ子にもできる仕事を分け与えることは親としての務めではないかと思うのである。

七夕


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