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教育長の部屋(2015年9月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年8月31日更新

「祭りの原風景」

  今年の夏も多くの地域行事や祭りに招待された。

 8月2日、朝来の弁分八坂社の夏祭りに初めて行った。大きな山車の中から、「コンコンチキチン コンチキチン」と、昔なつかしいカネ・タイコの音が聞こえてくる。地区の代表の方の話によると、約44年前に、京都・祇園神社の「祇園囃子 こんちきちん」を取り入れてこの地域で立ち上げたらしい。以後、何度か廃止の危機を乗り越えて今も続けていると言う。

 そういえば私が小学生の頃は、国東町にも「コンチキチン」の山車が2つあり、夏の夜の楽しみでもあった。2階建ての山車で、下の階で「コンチキチン」を鳴らし、上の階で出し物が繰り広げられた。出し物はプロの旅芸人風の人たちで、子どもながらに魅せられた。祭りの最後には、山車2つをぶつけ合って見物客を興奮させてくれた。そしてその後、国東町の「コンチキチン」は廃れてしまった。

 山車が祭りの「動」なら、祭りの「静」は「見立て細工」だった。この「見立て細工」も国東町では姿を消し、今では安岐町で小規模ながら続けられていることは、うれしい限りである。夏休みの「絵日記」には、この2つの思い出は毎年書いていた。私の夏祭りの、そしてふるさと国東の原風景のひとつは、「コンチキチン」と「見立て細工」である。

 山車と言えば、その後、勤務が日田市になった時に、「日田祇園」の山車を見たのだが、日田は出し物はなく装飾で勝負をしているので驚いたことを記憶している。

 またその後、中津市に転勤になって見たのは「中津祇園」で、これは、国東と同じ2階建ての山車で、出し物もあった。国東の山車は中津の流れを引いているのかもしれない。山車ひとつ比べてみても、同じ県内でもいろいろな歴史とつながりがあるのがおもしろい。

こんちきちん

 ところで、朝来の山車は1階建てである。そこで子どもたちがタイコとカネで「コンコンチキチン コンチキチン」とやるので、演技をする舞台はなく、したがって、演技は路上でということになる。今どきの表現をするならば、「路上パフォーマンス」である。1週間ほどの練習しかできなかったらしいが、「コンチキチン」もよくそろっていたし、「路上パフォーマンス」では、なわとびや校歌斉唱を披露していた。  

 この地区は、少子化の中にあって、以前の朝来小時代の幼児・児童・生徒数に比べると増加をしており、夜の反省会でも若いお父さん・お母さんたちが多数来ていて驚いた。その中に、私の息子と同級生だった子がいたこともびっくりだった。

 人と人との縁、不思議である。さらに、この地域の熟年層が元気がよくて、地域挙げて子どもたちを育て、若い保護者層を育てていることがよく伝わってきたひと時だった。


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