ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

教育長の部屋(2016年8月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年8月16日更新

平成28年8月「教育長の部屋」

 

「壁の向こう側」

 

 壁に直径3センチの穴があいているとしよう。たとえば50センチ離れた所からその穴をのぞくと、壁の向こう側にいる人の体は、その一部しか見えない。

 そこで、穴に目を近づけて壁の向こう側をのぞくと、見える範囲は広がり肩やヒザぐらいまで見えてくる。しかし、その人の頭のてっぺんやどんな靴をはいているのかは、まだ見えない。

 ならばと、思い切って自分の顔がスポッと入るくらいの穴をあけてみる。そして壁の向こう側に顔を出して見ると、その人の頭のてっぺんから足元まですべてが見えてくる。ただ、その人の背中を見ることは、まだできない。

 そこでついに、壁を抜けて向こう側に行けるくらいの大きな穴にしてみる。すると、その人の頭の先から、足元から、前から後ろから、すべてを見ることができる。

 子どもや親を含めて、相手を「理解する」ということは、こういうことではないだろうか?

 もう10年前になるが、私はある原稿にこんなことを書いた記憶がある。なぜこんなことを考えるに至ったのかというと、それより前に元ユネスコ全権大使の佐藤禎一氏の講演を聞いたからである。佐藤氏は「世界を股にかける文科大臣」と呼ばれた人で、各国の教育事情に精通している。大分県人でもある。

 その講演の後の質問コーナーで、こんな質問が出された。

 「今、日本ではいじめによる自殺や自殺予告など、大変な状況にありますが、日本の子どもたちを世界に誇れることはどんなことですか?」と。

 私は佐藤氏の回答に驚いた。何と、「道徳性や規律性です。」と言ったのである。考えるまでもなく、それらは今、日本の子どもたちに最も欠けていることではないのか!

 そうか、私たちは子どもの姿をあまりにも小さな穴からだけしか見ていないのではないか。小さな穴から見ると、日本の子どもたちは「道徳性も起立性もない困った子どもたち」にしか見えないのではないか。

 確かに子どもたちの気になる点や失いつつある点はたくさんある。しかしよくよく考えてみると、たとえ現在の状態が10点満点中「6」点だとしても、「0」点ではない。家庭や学校の教育の力をもってして「6」の状態にとどめているのでは、ということも言える。

 もちろん「6」に満足したり、教育の力でここまでしているのだと思い上がったりしてはならないが、少なくとも、足りない「4」を自分の力不足だと嘆いたり、他人に対して今まで何をしてきたのかと責めたりする必要は決してない。

 そして同時に、3センチの穴からだけ子どもたちを見るのではなく、私たち大人が壁の向こう側に越えていかなければ本当の子どもの姿は見えないということも自戒しなければならない。3センチの穴からは「宿題をしてこない子」としか見えてこなかったものが、壁の向こう側に顔を出してみると、宿題を自分の力で解くだけの理解をさせていなかったことや、宿題をする雰囲気がその子の家庭にないという「家庭の事情」も見えてくるかもしれない。

 私たちは現代っ子のコミュニケーション力不足を嘆くが、私たちが壁のこちら側にいてはコミュニケーションは成立しないということを心得たいと思う。

hanabi


このページの先頭へ
前のページに戻る