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教育長の部屋(2018年7月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年7月1日更新

「45年ぶりの再会」

 私の教師としての出発は、兵庫県姫路市である。まったく知らない、初めての土地で、教師としての第一歩を歩み始めた。
 初めて担任したのは4年生で、次の年度にはその4分の1の子どもたちと新しい4分の3の子どもたちを、5年生・6年生と持ち上がった。
 あれから45年が経過した先月の2日、私は姫路市にいた。担任した子どもたちが「同窓会」を開くというので招待されたのだ。子どもたちと言っても、私とはひと回り違いで、すでに55歳になっている。子どもたちから、「私、○○です。わからへんわなあ。」と言われて、申し訳ないがその通りでわかるはずもなく、「そういうと、なんか面影があるなあ。」とトボけるのがやっとだった。
 さて、プログラムの初めは、私が参加者一人ひとりの呼名をし、それに子どもたちが返事をするという場面を設定してくれていた。呼名をしながら、うれしくて何度も声をつまらせた。大学を出立て、しかも九州の田舎からノコノコと出てきた私を、よくぞ子どもたちは見捨てなかったものだと今さらながら感謝した。
 4時間ほどがあっという間に過ぎていった。
 その間、いろいろな思い出を語ってくれる中で、私が一番うれしかったのは、「Eくん、今ごろどうしているかなあと、時々思い出します。」という、ある子のことばだった。Eくんとは不登校の子で、もちろん私の頭の中にもしっかり残っている。私の教員生活の中で、悔しい思い出のひとつでもある。
 Eくんは転校してきたその日から学校に来なかった。したがってクラスメイトの責任でも何でもない。それでも彼を何とか学校に連れ出そうと、グループごとに毎朝、彼の家に迎えに行ってくれた。そしてついに、彼をクラスに迎え入れる日がきたのだったが、私にはそれを継続させる力量はなく、その後も、登校と不登校を繰り返させてしまった。Eくんにも、クラスの子どもたちにも申し訳なかった。
 それでも、今でもこうしてEくんのことを思い続けている子がいることを知って、私は目頭が熱くなった。
 一方で、私の脳裏からすっかり消えていたできごともあった。卒業式の時の「卒業生の歌」のメインは、私が作詞をし、いっしょに招待されていた音楽専科の先生が作曲をしたものだということが話題になった。そんなこともあったかなあという程度にしか思い出せなかったが、その後、その時の楽譜を大事に保管していた子がいて、郵送してくれた。歌詞を読み返していくと、この歌詞はあの時のこと、この歌詞はあの子のことなどが鮮やかに蘇ってきたのだった。若かりし頃はなかなかのロマンティストだったと思ったのと同時に、今なら、こっぱずかしくて口にも出せない歌詞だと思った。「青春、真っただ中」とはこういうことを言うのだろう。

 「教育は情熱」ということばがある。あの時代に戻ってやり直してみたいと思うが、それは不可能である。せめて「初心を忘れず」ということばを大事にして現在の職をがんばろうと思うし、後輩の教師たちにも期待してやまない。

 「会いたい人に会える」七夕の日がもうすぐやってくる。私は1ケ月早い「七夕の日」を子どもたちからプレゼントされたのだった。七夕


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