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教育長の部屋(2018年9月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年9月1日更新

「がまんの夏」


 暑い暑い夏が、やっと過ぎ去ろうとしている。
 この夏は、とりわけ、「大洪水」、「熱中症」、「台風」に悩まされた。いずれも私たちの命と財産にかかわるだけに、自然の恐ろしさを否というほど味わった夏だった。幸いに国東地方は大きな被害や事故もなく、子どもたちが再び元気で学校に戻ってきてくれたことに感謝したいと思うし、ご指導や見守りをいただいた学校、家庭、地域の皆様方に心から感謝を申し上げたい。
 ところで、この夏は、いろいろな面で私たちは「がまん」を強いられた。いくつかの事例を挙げてみる。
■「暑さ」や「熱中症」を予防するにはクーラーが必要だが、クーラーの設置が遅れている国東市内の小学生には少なからず「がまん」をしてもらった。また、すべての公的施設においてクーラーが設置されているわけではないので、市民の皆様にも「がまん」をしてもらったかもしれない。
■今年こそと思っていた巨人軍の優勝も遠のくばかりで、私としては「がまん」の毎日である。先日、読売新聞の記者と個人的に話す機会があったが、私が「巨人ファンとしてはイライラする日々だ。」と言うと、「ぼくは山口県生まれで、広島ファンです。巨人は今年もダメでしょう。」と他人ごとのように言っていた。せめて「この夏を乗り切ればチャンスがありますよ。」とぐらいは言ってほしかった。
■まだまだある。昨年は、トラクターが故障し、草刈り機で草刈りをする時間と意欲もなく、田畑の草を伸び放題にした。他人から「ザマがねぇのう?」と言われるかもしれないと思いながらもほったらかしにしていたのだが、とうとう「がまん」できなくなって、泣く泣く「シルバー」さんの力をお借りした。
 そして冬が過ぎ、春、また草が伸びた。このままでは梅雨時期に一段と伸びる。私は意を決して4月末、故障中のトラクターを4万円ほどの修理代をかけて復活させ、雑草をなぎ倒した。
 そして夏。水不足にもかかわらず草だけはなぜか元気で、いい調子に伸びた。「がまん」できなくなるまで知らん顔を決めていたが、がまんできずに再びトラクターに跨った。
■ところで、こういった「がまん」はまだ笑っておれる。最近は児童虐待の事件が続いているが、これは子育てにおいて、親たちが「がまん」ができなくなっている現れではないかと思う。最近の子どもたちも、「キレる」とか「耐性がない」などと評されているが、それは子どもたちに限ったことではなく、大人もその傾向にあると言わざるを得ない。わが子が「泣くから」、「言うことを聞かないから」などという、幼い子どもとしては当然の行動だと思うが、それだけの理由で虐待したり殺めたりする親たち。もちろんすべての親たち、子どもたちではないが、「がまん」をどう教えるのか、現代的課題である。

higannbana

 こう書いてきて、「ところで、『がまん』とは何か?」と考えた。漢字で書くと「我慢」だが、これにどんな意味があるのか? 調べてみて驚いた?
 こんな解説があった。「『我慢』はいけない。『忍耐』や『辛抱』は必要だが・・・」とあった。というのも、「我慢」はもともと仏教用語で、「我に慢心を抱く」の意味。「自分にうぬぼれて、おごり高ぶり、他を軽んじること」から転じて「我意を張ること、強情なこと」を表すのだという。ということは、虐待する親たちは「『我慢』が過ぎて子どもの気もちを軽んじている」ということになる。「我慢が大事」なんてことは、この解釈の限りでは言えないことばなのだろうか???・・・

 


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