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教育長の部屋(2018年11月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年11月7日更新

「文化の花咲く」

 毎年10月、11月は「文化の花咲く」季節である。
 とりわけ今年は、「国民文化祭・全国障害者芸術文化祭」の大分大会の年であり、今、県下各地でそれぞれのテーマによる文化の祭典が開かれている。
 国東市においては、「祈りの谷」というテーマを与えられ、ペトロ・カスイ岐部関連の演劇、絵画、音楽等のイベント、地域の伝統文化のひとつである神楽や太鼓の公演、障がいをもつ人たちの作品展、「祈りの一文字」作品展示等、10月6日から51日間にわたって開催されている。この間には、国東市旧町ごとの「文化祭」も開催され、まさに「文化の花咲く」秋、真っただ中である。
 中でも印象的だったのは、10月21日に「鬼・鬼・鬼ときどき龍」のイベントである。とりわけ、ある地域の神楽保存会が、その地域にある授産施設で働いている若者ふたりを、神楽の「踊り手」としてこの日、デビューさせたことである。保存会の方は、「彼らの神楽が大好きな気もちがものすごく伝わってきて、一緒にやってみる?と聞くと目を輝かせてうなづいた顔が印象的だった。」と振り返る。
 本番では、テンポがズレたり動きを忘れていたりした場面もあったものの、まさに「国民文化祭・全国障害者芸術文化祭」がねらっている「障がいのある・なしに関わらず文化を楽しむ」その姿に熱いものを感じたのは、私だけではなかったと思う。
 ところで、このイベントの最後に、私は「講評」の役をいただいていた。そしてついぞ予想もしていなかったのだが、神楽で首を切られた「龍」のかっこうで登場させられたのだった。その「講評」の中でも、彼らの熱演と地域の人々の温かさに拍手を送った。
 その日から約2週間ほど経ったある日、彼らふたりが所属している授産施設の「お祭り」があるというので出かけた。その会場で、そのうちのひとりにバッタリ出会った。その時彼が口にしたことばは、「龍のおいちゃんや。」だった。私はふたりとは面識はない。あの日、私はひとりの客として神楽を観て、そして「講評」を述べたに過ぎない。なのにしっかり私を覚えていてくれたのだった。居合わせた理事長さんによると、「彼らは口下手で自分から話しかけることは苦手だけど、よほどあの神楽の時にほめてくれたことが印象に残ったのでしょうね。」とのことだった。

 文化活動が生きる喜びにつながっていることを感じたと同時に、なんであの公演の後、すぐに彼らの側に行って声をかけてやらなかったのだろうと後悔した。もしかしたら私は、日常生活の中で、無意識のうちに彼らとの距離を置いているのではないか。

kiku
 制度上はインクルーシブの時代を迎えているとは言え、私たちそれぞれが意識の中をインクルーシブな心もちにしなければ彼らの生きる道は広がらないことを、あらためて教えられた一日になった。さらには、文化活動が人の輪を広げるきっかけになるということも、あらためて教えられたのだった。


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