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市長コラム 第1号「蜜柑」

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月19日更新

 半分、ぼんやりとした頭で、がりりと噛みました。すると、熱で乾ききった口中に、なんとも言えない甘い果汁が広がってゆきます。その果汁は、細胞の隅々まで染み込んでいくようです。「ああ、うまい。」寝床の中で、たちまち二つ食べ、生き返ったような気持ちでそのまま眠りについたのです。

 この蜜柑は、「うちの青島を食べちみちおくれ。」と、ある方からいただいたものなのですが、身と皮がぴっちりとしまり、歯ごたえもよく、そして甘いのです。

 その方は何代か続く蜜柑農家で、そこそこ高齢(失礼!)の方なのですが、実に研究熱心で、今も青年のような情熱をもって栽培されているのです。驚いたことに、一昨年は、新しくオリーブを植え、今年は、「栗が収穫しやすいので栗を植えるつもり。」と新しい果樹にも挑戦しようとしている人なのです。

 国東半島は昭和30年代後半、私が中学生の頃から、半島の丘を国営や県営のパイロット事業で開発をし、「みんな、蜜柑を植えろ。」と県や町が大音頭をとっていました。「男の子は蜜柑農家に、女の子は蜜柑農家の嫁になれ。」と卒業式などで町長さんが挨拶をしていました。

 やがて作り過ぎからか価格も下がり、蜜柑農家は立ちゆかなくなりました。今、残って蜜柑を栽培している人たちは、努力と技術で乗り切った人ばかりなのでしょう。

 国東の蜜柑は、生き残った美味しい蜜柑ばかりなのです。

 その美味しい蜜柑も、今度は「高齢化と後継者の不足」という新しい課題に直面しています。

 せっかく生き残った美味しい蜜柑をどのようにしたら、次の時代に残せるのか。私ども行政にも大きな課題が突きつけられているのです。

国東市長 三河 明史

 

国見町向田の開拓された蜜柑畑山を開拓するブルドーザー
~写真~昭和40年代のパイロット事業
パイロット①パイロット②
当時の国東みかんパンフレットの写真蜜柑の選果
パイロット③パイロット④

 

 


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