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朝来地区の文化財

ページID:0041174 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kunikenshi

朝来

国指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

重文

建造物

宝塔(釜ヶ迫国東塔)

安岐町 朝来

個人

昭和29年3月20日

朝来

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

護聖寺板碑

安岐町 朝来

護聖寺

昭和34年3月20日

02

有形

建造物

護聖寺石殿

安岐町 朝来

護聖寺

昭和59年3月30日

03

有形

建造物

八坂社板碑

安岐町 朝来

八坂社

昭和59年3月30日

04

有形

建造物

岩尾板碑

安岐町 朝来

岩尾組

昭和59年3月30日

朝来

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

護聖寺一石五輪塔

安岐町 朝来

護聖寺

昭和55年6月15日

02

有形

建造物

塔野板碑

安岐町 朝来

個人

昭和56年3月25日

03

有形

建造物

歳神社板碑

安岐町 朝来

歳神社

昭和56年3月25日

04

有形

建造物

大蔵五輪塔

安岐町 朝来

個人

昭和56年3月25日

05

有形

建造物

護聖寺宝篋印塔

安岐町 朝来

護聖寺

昭和56年3月25日

06

有形

建造物

五霊社

安岐町 朝来

八坂社

平成13年7月16日

市内文化財インデックス

 

宝塔(釜ヶ迫国東塔)

 
紀氏
基壇2重、基礎は側面を2区にして2重輪郭をとり、格狭間を入れる。首部には奉納孔がある。
建武2年(1335年)

大願主
    紀友房  同守房
    紀中子  同乙子

右為慈父悲母所
奉造立如件

     建武二年    乙    亥   二月十二日
各敬白

建武2年に紀氏一族が父母のために造立したことが銘文より読み取れる。(高さ167センチ)

護聖寺板碑

 

(右)正応四年卯月廿七(1291年)
(左)壽歴四年三月九日(1329年)
(右)種子(弥陀)    種子(観音)
                              正応四年卯月廿七
                              種子(勢至)
                              孝子敬白
(左)種子(三字とも右に同じ) 壽歴4年3月9日
室町時代初期の応永11年(1404年)に国東町泉福寺の無着禅師の弟明厳禅師により曹洞宗に転宗され、興国山護国寺と改称される。板碑は天台宗時代の護閏寺の一様相を現す良資料である。(正面左 総高198センチ、正面右 総高200センチ)

護聖寺石殿

 
角閃石安山岩。基礎。柱笠。中台(請花、単弁六弁)朱の彩色が残る。軸部(前面面各4体、右側2体、計10体、十王左側面1体地蔵)。屋根(入母屋造り、妻懸魚)軒裏棰を作る。屋根が大きく軸部をすっぽり覆っている感じである。 四面体柱状、入念に剖んだ大きな入母屋の屋倒恨の下には前背両函に四体づつ、右側面に2体、計10件の十王像を、右側面には地蔵一体を彫り出す。中台には赤い彩色が見られる。年代は室町期と推定される。(総高220センチ、軒幅106センチ)

八坂社板碑

 
完形。頭頂部・額部・碑身部・基礎。
元弘3年(1333年)(鎌倉末)
八坂社は宇佐神宮行幸会の1泊の地。朝来野氏の総廟である。

岩尾板碑

 
​幅広くどっしりした板碑である。碑身は幅70〜93cm、厚さ17〜22センチ、高さ125センチを測る。額部の両側は面取りされ、碑身には大きく種子が薬研彫りされている。碑身下部中央に「元亨四年(1324年)七月三日」と紀年名が陰刻している。石材は凝灰岩。鎌倉時代末期の造立で、時宗関係のものとしては最も古い。

護聖寺一石五輪塔

 
鎌倉時代〜南北朝時代
こぶりであるが、形は整い、ひかえめながら人の心をひきつけるものがある。(総高66センチ) 

塔野板碑

 
僅かに前屈。頭頂部が幅の割合に高さ低い。稜形なく殆ど円頂。
永和2年…1376年〜南北朝
(種子)きりーく(弥陀永和二 丙 辰 丑七十五
年紀が判然として良作である。(総高195.5センチ)

歳神社板碑

 
歳神社境外に造立されている。碑面を三段に分け、上2段に3体ずつ六地蔵を刻む。(総高150センチ)

種子(地蔵)□□
満一□環□□

大蔵五輪塔

 
隣家の渋谷商店が自発的に毎朝供え物をしている。
角閃安山岩。空・風・火・水・地輪、鎌倉時代(推定)
地輪の4面に4仏の種子の墨書がある。
朝来地区最古と称され、鎌倉時代の造立といわれている。地輪(台石)の4面に4仏の種子が墨書されているというが、後世の加筆である可能性が高い。

護聖寺宝篋印塔

 
基礎2重。2重目1面1ヶ格狭間。塔身正面龕、地蔵陽刻。他3面月輪。笠。相輪部6輪。室町時代造立推定。
同寺参道付近にあったものを盗難を恐れ境内に移す。(総高185センチ)

五霊社

 
五霊社内には如来立像、菩薩立像2躯、天部立像の計5躯を安置している。如来立像には明暦2年(1656年)の紀年銘があり、他は平安後期(12世紀)の像立と思われる。
祭神の菅原神、大年神、吉備神は、元朝来村字年の神鎮座の頃、明治9年(1876年)五霊社に移転する。
(正面三間275センチ、側面二間200センチ、本体正面・高さ574センチ)

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