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両子地区の文化財
両子 |
県指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
史跡 |
* |
安岐町両子 |
両子寺 |
昭和41年3月22日 |
|
02 |
有民 |
* |
安岐町両子 |
両子寺 |
昭和44年3月22日 |
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03 |
有形 |
建造物 |
安岐町両子 |
両子寺 |
昭和46年3月23日 |
|
04 |
有形 |
美術工芸 |
安岐町両子 |
両子寺 |
平成3年3月26日 |
|
05 | 有形 | 美術工芸 | 木造観音菩薩立像 | 安岐町両子 | 両子寺 | 平成30年2月6日 |
両子 |
市指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
安岐町両子 |
両子寺 |
昭和55年6月15日 |
|
02 |
有形 |
建造物 |
安岐町両子 |
個人 |
昭和55年6月15日 |
|
03 |
有形 |
建造物 |
安岐町両子 |
個人 |
昭和56年3月25日 |
|
04 |
有形 |
美術工芸 |
安岐町両子 |
両子寺 |
昭和56年3月25日 |
足曳山両子寺
六郷満山の本寺のひとつであり、中世は末山または中山に属し、江戸時代には杵築藩の祈願所として40石を与えられ、六郷山の総寺院として全山の中心となった。
無明橋を渡って参道を登ると、国東最大の石の仁王に出会う。かつて参道の両側を中心に寺の近くに大万坊・門坊・中坊などの十二坊があり、今もその跡を石垣にとどめている。さらに登ると、庫裡・客殿・護摩堂・鐘楼があり、さらに、稲荷社、講堂跡を経て奥の院へ達する。奥の院登り口には鎌倉末期の大きな国東塔が立つ。
木造鈴鬼面
元和四年(1618)、明和7年(1770)補修
面長19.7cm、面幅14.3cm、面高8.3cm
面裏に
修正鬼会で使われていた鈴鬼面である。六郷満山の総持寺である中山本寺足曳山両子寺には、修正鬼会面の荒鬼6面と鈴鬼面2面が残されている。指定されている鈴鬼面は優品で、材質は桂。
石造国東塔
鎌倉時代の作で、塔身の正面に
「奉納如法書写一乗妙法蓮花経」
と銘が刻まれている。
基礎は3重。台座は複弁8葉の反花のみで、塔身は裾のやや細まった円筒形である。笠は照屋根で軒反りの形もよい。
(総高 4.48m)
両子寺木造阿弥陀如来坐像
檜材、寄せ木造り内刳りの上漆箔仕上げ。玉眼嵌入り(ガラス製)、木製白毫珠嵌入り。螺髪彫りだし(粒状)。螺毛を表し、耳朶環状、三道彫り出し。
総高 84.8m
鎌倉時代末期
両子寺の大講堂に安置されている本像は、昭和36年、京仏師出口翆豊の手により修理されている。
両子寺崖上国東塔
角閃安山岩。完形。基礎。塔身。笠。相輪。
基礎3重。3重目各面二ヶ格狭間。塔身。壺形首部あり。笠。照屋根。相輪部。
露盤各面二ヶ格座間、請花、九輪、請け花、請花、宝珠(火焔)。
均整のとれた風格ある容姿。
推定室町時代〜南北朝時代
(高さ 207cm)
両子石幢
笠下の主部格面に1体ずつ六地蔵を刻む。柱部と主部に紀年銘がある。
龕部(六地蔵区画軸部) 応仁2年3月
幢身部 応仁 戊子 二天 三月 日
在紀年中国東半島最古とされる。
明治初期、近隣西方のくぼ地から現地に移転したという。
(総高 206cm)
両子石殿
高さー基礎 40cm、台座38cm、軸部46cm、屋根37cm、総高161cm
基礎ー台座(蓮弁、複弁12弁刻出)。軸部(正背各面4体づつ、右側面2体、計10体、十王左側面(地蔵)合計11体浮き彫り)屋根(入母屋造り、妻懸け魚)。
室町時代の作と思われ、完形で保存もよく秀作。傍らに応仁2年紀の石幢1基あり。
両子寺仁王
仁王像は忿怒の様相もいかめしく、天衣や裳の表現にすぐれ、全体的な均整もよい、阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は肩下で掌を前に開き、左手は腰の位置にて拳にする。両像とも腹をやや突き出し、胸骨や筋肉の表現には力強さがあり、国東半島を代表する仁王像である。作品には銘がなく、寺の言い伝えによると文化11年(1814)作といわれる。
総高 阿形・吽形 245cm
像高 阿形・吽形 230cm