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両子地区の文化財

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月13日更新

kuniken

A10両子

県指定

通しno

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

AB10-01

史跡

足曳山両子寺

安岐町両子

両子寺

昭和41年3月22日

AB10-02

有民

木造鈴鬼面

安岐町両子

両子寺

昭和44年3月22日

AB10-03

有形

建造物

石造国東塔

安岐町両子

両子寺

昭和46年3月23日

AB10-04

有形

美術工芸

両子寺木造阿弥陀如来坐像

安岐町両子

両子寺

平成3年3月26日

A10両子

市指定

通しno

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

AC10-01

有形

建造物

両子寺崖上国東塔

安岐町両子

両子寺

昭和55年6月15日

AC10-02

有形

建造物

両子石幢

安岐町両子

個人

昭和55年6月15日

AC10-03

有形

建造物

両子石殿

安岐町両子

個人

昭和56年3月25日

AC10-04

有形

美術工芸

両子寺仁王

安岐町両子

両子寺

昭和56年3月25日

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AB1001 足曳山両子寺

 

六郷満山の本寺のひとつであり、中世は末山または中山に属し、江戸時代には杵築藩の祈願所として40石を与えられ、六郷山の総寺院として全山の中心となった。

無明橋を渡って参道を登ると、国東最大の石の仁王に出会う。かつて参道の両側を中心に寺の近くに大万坊・門坊・中坊などの十二坊があり、今もその跡を石垣にとどめている。さらに登ると、庫裡・客殿・護摩堂・鐘楼があり、さらに、稲荷社、講堂跡を経て奥の院へ達する。奥の院登り口には鎌倉末期の大きな国東塔が立つ。

AB1002 木造鈴鬼面

 

和四年(1618)、明和7年(1770)補修
面長19.7cm、面幅14.3cm、面高8.3cm
面裏に

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修正鬼会で使われていた鈴鬼面である。六郷満山の総持寺である中山本寺足曳山両子寺には、修正鬼会面の荒鬼6面と鈴鬼面2面が両子寺に残されている。指定されている鈴鬼面は優品で、材質は桂。

AB1003 石造国東塔

 

鎌倉時代の作で、塔身の正面に
「奉納如法書写一乗妙法蓮花経」
と銘が刻まれている。
基礎は3重。台座は複弁8葉の反花のみで、塔身は裾のやや細まった円筒形である。笠は照屋根で軒反りの形もよい。
(総高 4.48m)

AB1004 両子寺木造阿弥陀如来坐像

 

檜材、寄せ木造り内刳りの上漆箔仕上げ。玉眼嵌入り(ガラス製)、木製白毫珠嵌入り。螺髪彫りだし(粒状)。螺毛を表し、耳朶環状、三道彫り出し。
総高  84.8m
鎌倉時代末期
両子寺の大講堂に安置されている本像は、昭和36年、京仏師出口翆豊の手により修理されている。

AC1001 両子寺崖上国東塔

 

角閃安山岩。完形。基礎。塔身。笠。相輪。
基礎3重。3重目各面二ヶ格座間。塔身。壺形首部あり。笠。照屋根。相輪部。
露盤各面二ヶ格座間、請花、九輪、請け花、請花、宝珠(火焔)。
均整のとれた風格ある容姿。
推定室町時代〜南北朝時代
(高さ 207cm)

AC1002 両子石幢

 

笠下の主部格面に1体ずつ六地蔵を刻む。柱部と主部に紀年銘がある。

龕部(六地蔵区画軸部) 応仁2年3月
幢身部 応仁 戊子 二天 三月 日
在紀年中国東半島最古とされる。
明治初期、近隣西方のくぼ地から現地に移転したという。
(総高 206cm)

AC1003 両子石殿

 

高さー基礎 40cm、台座38cm、軸部46cm、屋根37cm、総高161cm
基礎ー台座(蓮弁、複弁12弁刻出)。軸部(正背各面4体づつ、右側面2体、計10体、十王左側面(地蔵)合計11体浮き彫り)屋根(入母屋造り、妻懸け魚)。
室町時代の作と思われ、完形で保存もよく秀作。傍らに応仁2年紀の石幢1基あり。

AC1004 両子寺仁王

 

仁王像は忿怒の様相もいかめしく、天衣や裳の表現にすぐれ、全体的な均整もよい、阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。阿形像右手は肩下で掌を前に開き、左手は腰の位置にて拳にする。両像とも腹をやや突き出し、胸骨や筋肉の表現には力強さがあり、国東半島を代表する仁王像である。作品には銘がなく、寺の言い伝えによると文化11年(1814)作といわれる。

総高 阿形・吽形 245cm
像高 阿形・吽形 230cm

 

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