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両子地区の文化財

ページID:0041175 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kenshi

両子

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

史跡

足曳山両子寺

安岐町両子

両子寺

昭和41年3月22日

02

有民

木造鈴鬼面

安岐町両子

両子寺

昭和44年3月22日

03

有形

建造物

石造国東塔

安岐町両子

両子寺

昭和46年3月23日

04

有形

美術工芸

両子寺木造阿弥陀如来坐像

安岐町両子

両子寺

平成3年3月26日

05 有形 美術工芸 木造観音菩薩立像 安岐町両子 両子寺 平成30年2月6日

両子

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

両子寺崖上国東塔

安岐町両子

両子寺

昭和55年6月15日

02

有形

建造物

両子石幢

安岐町両子

個人

昭和55年6月15日

03

有形

建造物

両子石殿

安岐町両子

個人

昭和56年3月25日

04

有形

美術工芸

両子寺仁王

安岐町両子

両子寺

昭和56年3月25日

市内文化財インデックス

 

 足曳山両子寺

 

六郷満山の本寺のひとつであり、中世は末山または中山に属し、江戸時代には杵築藩の祈願所として40石を与えられ、六郷山の総寺院として全山の中心となった。

無明橋を渡って参道を登ると、国東最大の石の仁王に出会う。かつて参道の両側を中心に寺の近くに大万坊・門坊・中坊などの十二坊があり、今もその跡を石垣にとどめている。さらに登ると、庫裡・客殿・護摩堂・鐘楼があり、さらに、稲荷社、講堂跡を経て奥の院へ達する。奥の院登り口には鎌倉末期の大きな国東塔が立つ。

 木造鈴鬼面

 

元和四年(1618)、明和7年(1770)補修
面長19.7cm、面幅14.3cm、面高8.3cm
面裏に

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修正鬼会で使われていた鈴鬼面である。六郷満山の総持寺である中山本寺足曳山両子寺には、修正鬼会面の荒鬼6面と鈴鬼面2面が残されている。指定されている鈴鬼面は優品で、材質は桂。

 石造国東塔

 

鎌倉時代の作で、塔身の正面に
「奉納如法書写一乗妙法蓮花経」
と銘が刻まれている。
基礎は3重。台座は複弁8葉の反花のみで、塔身は裾のやや細まった円筒形である。笠は照屋根で軒反りの形もよい。
(総高 4.48m)

 両子寺木造阿弥陀如来坐像

 

檜材、寄せ木造り内刳りの上漆箔仕上げ。玉眼嵌入り(ガラス製)、木製白毫珠嵌入り。螺髪彫りだし(粒状)。螺毛を表し、耳朶環状、三道彫り出し。
総高  84.8m
鎌倉時代末期
両子寺の大講堂に安置されている本像は、昭和36年、京仏師出口翆豊の手により修理されている。

 両子寺崖上国東塔

 

角閃安山岩。完形。基礎。塔身。笠。相輪。
基礎3重。3重目各面二ヶ格狭間。塔身。壺形首部あり。笠。照屋根。相輪部。
露盤各面二ヶ格座間、請花、九輪、請け花、請花、宝珠(火焔)。
均整のとれた風格ある容姿。
推定室町時代〜南北朝時代
(高さ 207cm)

 両子石幢

 

笠下の主部格面に1体ずつ六地蔵を刻む。柱部と主部に紀年銘がある。

龕部(六地蔵区画軸部) 応仁2年3月
幢身部 応仁 戊子 二天 三月 日
在紀年中国東半島最古とされる。
明治初期、近隣西方のくぼ地から現地に移転したという。
(総高 206cm)

 両子石殿

 

高さー基礎 40cm、台座38cm、軸部46cm、屋根37cm、総高161cm
基礎ー台座(蓮弁、複弁12弁刻出)。軸部(正背各面4体づつ、右側面2体、計10体、十王左側面(地蔵)合計11体浮き彫り)屋根(入母屋造り、妻懸け魚)。
室町時代の作と思われ、完形で保存もよく秀作。傍らに応仁2年紀の石幢1基あり。

 両子寺仁王

 

仁王像は忿怒の様相もいかめしく、天衣や裳の表現にすぐれ、全体的な均整もよい、阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は肩下で掌を前に開き、左手は腰の位置にて拳にする。両像とも腹をやや突き出し、胸骨や筋肉の表現には力強さがあり、国東半島を代表する仁王像である。作品には銘がなく、寺の言い伝えによると文化11年(1814)作といわれる。

総高 阿形・吽形 245cm
像高 阿形・吽形 230cm

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