本文
糸永地区の文化財
糸永 |
県指定 |
|||||
---|---|---|---|---|---|---|
No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
美術工芸 |
安岐町糸永 |
瑠璃光寺 |
昭和36年3月14日 |
|
糸永 |
市指定 |
|||||
No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
安岐町糸永 |
桂徳寺 |
昭和55年6月15日 |
|
02 |
有形 |
建造物 |
安岐町糸永 |
瑠璃光寺 |
昭和55年6月15日 |
|
03 |
有形 |
建造物 |
安岐町糸永 |
糸永地区 |
昭和59年3月27日 |
|
04 |
有形 |
建造物 |
安岐町糸永 |
瑠璃光寺 |
昭和59年3月27日 |
|
05 |
有形 |
美術工芸 |
安岐町糸永 |
矢野家(桂徳寺) |
平成13年7月16日 |
|
06 |
有形 |
美術工芸 |
安岐町糸永 |
瑠璃光寺 |
平成13年7月16日 |
木造阿弥陀如来立像
六郷山末山寺のひとつである瑠璃光寺お本宅に安置されている。
両手首、足先は後補である。彩色は顕髪や眉などに墨、唇に朱の痕跡を残している。両頬から胸腹部の厚い肉取りや衣文の彫出に平安前期彫刻の名残りを見せるが、伏目がちで穏やかな表情、大腿部前面のY宇型に線彫項りされた衣文の手法などに和洋化と形式化が進んでおり、11世紀前半頃の特徴を見せている。(像高156.5センチ)
桂徳寺宝篋印塔
糸永の桂徳寺境内にある。円周で囲んだ一梵字が塔身4面のそれぞれにある。胎蔵界4仏の種子だという。それ以外は文字どおり絵にかいたような角閃安山岩の大宝篋印塔である。年代は南北朝期と推定されている。(総高287.5センチ)
瑠璃光寺石殿
高さ50センチの自然石の上に建つ。笠下の主部には、表裏2面に2体ずつ、両側面に1体ずつ計6体の仏像を刻む。六地蔵とも十王六体ともいう。年代は鎌倉時代とされているが、中央の鼓形運蓮華台座が南北朝期の後補とみられている。
境内にサルスベリの老大木(樹齢500年?)があり、夏の満開時期には鑑賞に足る。
総高140センチ、その下に50センチの基壇あり
地蔵堂位牌塔
(右側面)
旹応永丙午仲春下旬日
(正面)
瑞雲 祐□禅門 の如し
妙□禅尼
塔身長方形各面。
笠の有無不明。
正面位牌形の線刻
傍らに木彫地蔵菩薩外石造遺品数基あり。(総高地上126センチ)
瑠璃光寺異形国東塔
糸永の瑠璃光寺石段上り口の右手にあるがもとは上りつめた左手にあったのだという。
基礎は薄い1石3重、塔身上端に首部がなく、笠の上の露盤には4面に卍の格狭間。九輪を欠いており、五輪塔と国家塔の混血みたいでいかにも異形ではあるが、九輪が初めから無かったという確認が、いつ、だれによってなされたのかは明らかでない。
室町時代の作だとされる。
矢野文書
矢野家に伝わる帳類、書簡、断簡、典籍等が約1400点あり、寛文五年〜近代のもの。
矢野家は代々糸永村の庄屋を務めた家系である。応永6年(1399年)に矢野久衛門正資が桂徳寺を創建しており、元禄8年(1695年)には矢野久衛門正宣が瑠璃光寺へ鈴鬼面を寄進している。
保存状態やや不良。
瑠璃光寺木造仏群
1.釈迦如来立像、2.薬師如来立像、3.日光菩薩立像、4.月光菩薩立像
5.不動明王立像、6.二童子立像二躯、7.十二神将立像うち九躯
員数は計16躯あり。
1.2.3.4.7.樟材の一本造り、5.6.杉材の一本造りで、それぞれの製作年代は
1.平安時代後期
2.3.4.7.江戸時代
5.6.室町時代後期とされる。