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治郎丸地区の文化財
治郎丸 |
市指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
国東町治郎丸 |
個人 |
昭和38年1月27日 |
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02 |
有形 |
建造物 |
国東町治郎丸 |
治郎丸区 |
昭和55年6月1日 |
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03 |
史跡 |
* |
国東町治郎丸 |
治郎丸区 |
昭和58年4月26日 |
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04 |
天然 |
* |
国東町治郎丸 |
治郎丸区 |
昭和58年4月26日 |
連碑
治郎丸、通称「お薬師様」と呼ぶ所にある。高さ2m、幅3.2mの岩に12面刻まれた板碑である。碑文は、磨減がひどく、判読不能。
高さ2m、 幅3.2mの1面に12面の仏像を刻んだ板碑。
めがね橋
小型であるが狭い谷川を利用して、架設部は入念に施工し矢筈型の溝工法。両脚部を岩に組み込ませ、半円ははげしい長楕円形である。工事の修復をしたことがないという。
阿弥陀堂に鎌倉より持参せるという木彫り仏、石造り仏があり、信仰道標であった。
阿弥陀堂建設の初期、江戸時代中期。
高さ3.50m
幅 1.20m
長さ 4.00m
阿弥陀寺跡
阿弥陀寺は畠山五郎入道行重(元久2年生)が信濃善光寺より阿弥陀如来像を持ち帰って開山。庶民の信仰の中心となったが江戸時代中期に廃寺となり、現在、堂と阿弥陀3尊像、崩壊した五重の塔・法篋印塔、古墓群、13石像、めがね橋などを残すだけになっている。
本尊 高さ45cm 楠の木彫り
金箔製 阿弥陀堂本尊
いす(サルブエ)
上治郎丸 山神社は平安時代瀬戸内海大三島神社より分神、鎌倉時代(弘安6年)高地川端より現在地を選択、当時神域内の幼木イスの木をご神木とし現在にいたる。
イスの木としては近郷にない古木で800年の歴史を秘めている。
立ちがかり周囲 5.2m
高さ 40m