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治郎丸地区の文化財

ページID:0041138 印刷ページ表示 更新日:2023年7月1日更新

shi

治郎丸

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

連碑

国東町治郎丸

個人

昭和38年1月27日

02

有形

建造物

めがね橋

国東町治郎丸

治郎丸区

昭和55年6月1日

03

史跡

阿弥陀寺跡

国東町治郎丸

治郎丸区

昭和58年4月26日

04

天然

いす(サルブエ)

国東町治郎丸

治郎丸区

昭和58年4月26日

市内文化財インデックス

 

 連碑

 

治郎丸、通称「お薬師様」と呼ぶ所にある。高さ2m、幅3.2mの岩に12面刻まれた板碑である。碑文は、磨減がひどく、判読不能。
高さ2m、 幅3.2mの1面に12面の仏像を刻んだ板碑。

 めがね橋

 

小型であるが狭い谷川を利用して、架設部は入念に施工し矢筈型の溝工法。両脚部を岩に組み込ませ、半円ははげしい長楕円形である。工事の修復をしたことがないという。
阿弥陀堂に鎌倉より持参せるという木彫り仏、石造り仏があり、信仰道標であった。
阿弥陀堂建設の初期、江戸時代中期。
高さ3.50m
幅 1.20m
長さ 4.00m

 阿弥陀寺跡

 

阿弥陀寺は畠山五郎入道行重(元久2年生)が信濃善光寺より阿弥陀如来像を持ち帰って開山。庶民の信仰の中心となったが江戸時代中期に廃寺となり、現在、堂と阿弥陀3尊像、崩壊した五重の塔・法篋印塔、古墓群、13石像、めがね橋などを残すだけになっている。
本尊 高さ45cm 楠の木彫り
金箔製 阿弥陀堂本尊

 いす(サルブエ)

 

上治郎丸 山神社は平安時代瀬戸内海大三島神社より分神、鎌倉時代(弘安6年)高地川端より現在地を選択、当時神域内の幼木イスの木をご神木とし現在にいたる。
イスの木としては近郷にない古木で800年の歴史を秘めている。
立ちがかり周囲 5.2m
高さ 40m 

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