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見地地区の文化財

ページID:0041128 印刷ページ表示 更新日:2023年7月1日更新

kenshi

見地

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

岡板碑

国東町見地

個人

昭和34年3月20日

02

有形

建造物

板碑(中屋敷板碑)

国東町見地

個人

昭和47年3月21日

見地

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

五輪塔、板碑、宝塔群

国東町見地

小松神社

昭和38年1月27日

02

有形

建造物

伝平重盛墓ほか五基

国東町見地

小松神社

昭和38年1月27日

03

有形

建造物

石造宝篋印塔

国東町見地

玉林寺

昭和46年11月10日

04

天然

くろがねもち

国東町見地

小松神社

昭和51年3月30日

05

天然

蘇鉄

国東町見地

玉林寺

昭和51年3月30日

06

天然

ホルトの木

国東町見地

小松神社

昭和51年3月30日

07

有民

手洗鉢

国東町見地

小松神社

昭和51年3月30日

08

無民

国東神楽

国東町見地

国東神楽保存会

昭和55年6月1日

市内文化財インデックス

 

 岡板碑

 

見地 総高2.68m。巨大、入念な作りで秀作である。碑身正面上部の種子はキリーク(弥陀)、中3分の1に5行にわたる銘文があり、僧然秀が建武元年(1324)亡父13回忌供養のために造立したことがわかる。
銘文
右志者亡父迎十三年之
遠忌祈四八相之妙果所篤
者八軸之妙文所刻者大日遍
照形外資幽得道廻施不恨
建武元年四月七日然秀 敬白(1324)

 板碑(中屋敷板碑)

 

地名を冠して中屋敷板碑と呼んでいる。碑身上部中央に種子マン(文殊)の薬研彫り、その下中央に「正中二年十月□日下旬」(1325)、その横に「孝子大法師□□大法師然□」の陰刻銘。碑面横に弧を画くような丸味があり、総高125cmに対し幅54〜58cmの幅広で、重厚感に富む。(□□の中に真然とあり)。

 五輪塔、板碑、宝塔群

 

見地横山地区の西側台地にあり、五輪塔・宝塔等22基が並ぶ。平家の落武者の墓と伝える。神社祭典毎に神前に用供をささげ神職社殿参拝、平家の落ち武者の墓と伝える。

 伝平重盛墓ほか五基

 

見地尾崎の山中に、五輪塔が5基ある。中央、一段高い所に高さ110cmの塔(伝重盛墓)、その下方に五輪塔が並ぶ。寿永年間、(1882―1885)平貞能は平重盛の分骨を見地山東光寺に納骨したと伝えられる。
慶応四年この墓地を清掃した時、五輪塔の中から小刀一振りを得たが、鞘腐のまま社殿に奉納したが、鋒先一寸は欠損していたとの記録あるも現在はない。昭和40年から墓前祭を行っている。

 石造宝篋印塔

 

見地玉林寺境内にあり、総高330cm。無銘、塔身は無地で、上下に差し込む形式になっている。

 くろがねもち

 

小松神社
神社境内にあり、立ちがかり周囲260cm。町内まれにみる巨木。
もちのき科、暖地の山林に自生する常緑喬木である。雌雄異株。スダシイの中に混在している。

 蘇鉄

 

周囲3m、推定樹齢400年
貞亨2年(1685)夢悔禅師は諸国雲水の旅に出るとき、一株の蘇鉄を庭に植えた。我臨終の時はこの蘇鉄枯れぬべしとして出発した。後に琵琶湖竜花村に曹洞宗長福寺を創建開山す。77歳で入寂。やがて蘇鉄が枯れてが、新芽を葺き、文化5年(1808)これを玉林寺に移したという。

 ホルトの木

 

小松神社
神社境内にあり、立ちがかり周囲3.41m、樹高15m
推定樹齢200年。

 手洗鉢

 

小松神社
興水の文字が大きく刻まれ、見事な龍の彫刻もある。1石3段の石段がついている。天保13年(1843)の銘がある。

 国東神楽

 

直伝岩戸神楽で宇佐派の流れを組む。人皇44代元正天皇の養老三年山吹村、初八坂社の創始祭りに宇佐から宮司として来た時宇佐楽を奏し、その後楽に合わせて舞技を研究し、下成仏・岩屋・富来・来浦の社家の方々によって創始されたが一時中止した。
その後成仏神楽が残り、昭和40年に再興、現在に至る。
内容は初代から玉造大神を中心に神話の伝説、神国の由来、敬神思想の普及に重点を置いた。番数は30あり。

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