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明治地区の文化財

ページID:0041176 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kenshi

明治

県指定

NO.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

無民

諸田山神社御田植祭

安岐町明治

諸田区

平成13年4月3日

明治

市指定

NO.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

金剛院跡笠塔婆

安岐町明治

小俣中台共有

昭和56年3月25日

02

有形

建造物

報恩寺無縫塔

安岐町明治

報恩寺

昭和56年3月25日

03

有形

建造物

大吉堂一石五輪塔

安岐町明治

大吉堂

昭和56年3月25日

04

有形

建造物

寺園天正碑

安岐町明治

寺園共有

昭和59年3月27日

05

有形

建造物

諸田山神社鳥居

安岐町明治

諸田区

平成13年7月16日

06

有形

美術工芸

末弘文書

安岐町明治

個人

平成13年7月16日

07

有形

建造物

祇園様

安岐町明治

報恩寺

平成13年7月16日

市内文化財インデックス

 

 諸田山神社御田植祭

 

毎年、春季例祭(3月21日)、五穀豊穣・氏子繁栄のため行われる。
神社境内が御田植祭りの水田として用いられ、水田の一隅に神座として大きな的を設け、これを射り鍬取りの田ならし畦塗り、暴れ牛を追っての代掻き、種蒔き、苗運び、早乙女に扮した男児の田植え、最後にはおやつを持ってきた女性が産気づいて出産するという模擬の農作業が鉦・太鼓・笛の囃子や古風なセリフを交えながら滑稽に演じられる。
創立時期は不明であるが、諸田飛騨守が社地を選定し、社殿を設け、大山祗命を祀って山王宮として諸田集落の産土神としたと伝えられる。

 金剛院跡笠塔婆

 

明治字小俣中台にある。基礎・塔身・笠の3石からなり、正面に弥陀3尊を彫り、その上部に左の刻銘があったという。
寿 位 源 高 直
永正十六年二月九日
(高さ140cm)

 報恩寺無縫塔

 

基礎(8角、上部複弁の8弁の反花を刻む)。柱竿(8角)、中台(8角、上部複弁、8弁、反花)。請花(単弁12弁花座)。塔身(頂上の曲線は微妙な円味)。
宝陀寺(大田村)開山塔と胴形式。
報恩寺境内にはこの塔の左に2基あり、この2基は時代やや下って造立。
(総高 135cm)
諸国の報恩寺境内によく似た3基がならんでいるが、その右端の1基である。基石・下向き蓮華座・塔柱。中台までみな八角。その上に上向き蓮華座、そして卵形の塔身が載る。塔柱に蓮華のような文様を刻む。年代は諸説あるが14、15世紀の頃か。他の2基はやや時代が下がるとみられる。

 大吉堂一石五輪塔

 

角閃安山岩。基礎1重、1重目1面2個の格狭間。上部反花は甚だうすい。塔身・笠・相輪が1石。製作年代は室町時代~鎌倉末〜南北朝期と諸説あり。
(総高 183.5cm)

 寺園天正碑

 

石造。板碑型。幅46cm。厚さ19cm。
金剛院にはこの外に天正4年紀の同形のもの鎌倉期作と推定の無銘板碑、高さ148cm石造遺品多数、小堂内には木彫仏像2躯あり。
総高 87cm、頭頂部切妻破風。

 諸田山神社鳥居

 

弘化2年(1845)
明神造り
諸田山神社鳥居
(高さ約5m、開き約3m)

(右柱)「民之敬忠神錫景福」
(左柱)「水旱疾疫罔或爾毒」
額束に山王宮、両柱に帆足萬里書

 末弘文書

 

古文書が保管してある木箱には、文化元年の銘が記載されており、木箱も古文書附きとして指定。
明暦〜慶応(1600〜1800)
報恩寺宛寄進状(明暦2年) 高1斗4升7合 宮内新四郎 板並喜兵衛
など

 祇園様

 

安山岩製の笠、碑身、基礎の3部からなる形式
碑身部 高さ 100cm 幅 53cm 厚さ 43cm
応永25年(1418)の紀年銘あり
石材の風化の度合いや連結度合いなどから本来別々の部材と思われる。

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