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富来浦地区の文化財

ページID:0041116 印刷ページ表示 更新日:2023年7月1日更新

kenshi

富来浦

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

史跡

狐塚古墳

国東町富来浦

国東市

昭和28年4月20日

02

有形

美術工芸

木造釈迦如来坐像

国東町富来浦

萬弘寺

昭和51年3月30日

富来浦

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

史跡

富来城跡

国東町富来浦

国東市

昭和38年1月27日

02

天然

はまぼう

国東町富来浦

富来浦手区

昭和51年3月30日

03

有形

美術工芸

富来文書

国東町富来浦

萬弘寺

昭和58年4月26日

04

有形

美術工芸

木造薬師如来立像

国東町富来浦

萬弘寺

昭和58年4月26日

05

有形

建造物

常夜燈

国東町富来浦

富来浦手区

昭和60年10月22日

市内文化財インデックス

 

 狐塚古墳

 

古墳時代前期
後円部直径45m、高さ5.5m、外部は5mの周壕。
柄鏡式前方後円墳、頂上附近に堅穴式石室が露出し室内の遺物は亡失。盗堀後に土師片。鉄片の若干と太刀形の鉄片が発見された。

 木造釈迦如来坐像

 

総高65cm。檜材の寄木造り、玉眼宝冠釈迦像。文和3年(1354)大檀那紀圭之助忠茂すなわち富来忠茂ほか血縁者の発願により造立。萬弘寺蔵。
右手は施無畏印、左手は与願印をなす。膝前と前面背面とに次の銘を認める。
大佛法師法眼和尚覺朝住持
月山叟大檀那紀杢之助忠茂
妻藤原氏嫡子紀
兵庫允忠拳同紀忠時殊法麿
文和3甲午3月20日(1354)

 富来城跡

 

弘長元年(1261)築城してから慶長5年(1600)まで城として存在か 。
富来城の戦いは黒田如水年記にある。

 はまぼう

 

富来浦字鳳の木に自生する芙蓉に似たアオイ科の落葉低木。砂浜を這って群生し、小さな紫の花をつける。

 富来文書

 

萬弘寺にあり、南北朝時代ー室町時代。

 木造薬師如来立像

 

頸部の群青内身部の金泥の後補彩色もあってか面部の彫りだし手法が素直に平安像の表情として受容しにくく感想を残すのは面部の磨損によるのではないかと思われる。
木造楠材一木造彫眼後捕彩色
像高117cm 面幅3.5cm 面長13.0cm
面奥18.0cm 胸厚17.0cm 腹厚19.7cm 
射張37.8cm 裾張33.5cm 髪際下108.5cm

 常夜燈

 

南側に常夜燈、東側に天保年15年星次甲辰(1844)初冬吉祥日、西側に山頭象(横書き)金毘羅大権現と刻んである。富来港は、良港であるが、東西に大きな暗礁があったため、港の入口に常夜燈を置き、燈台の役目をした。
平成4年、道路拡幅のため、当初の位置に置けなくなり近傍の熊野神社境内に保存移転を行った。 天保15年(1844)。
これは全国的にも珍しい重要な石造物である。
高さ 520cm
幅  251cm

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