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六郷満山、悟りの道をゆく

印刷ページ表示 更新日:2022年9月1日更新

 六郷満山、悟りの道をゆく

両子寺

▲六郷満山の総持院であった両子寺
時を経て、今も参拝客が絶えず訪れます。​両子寺公式HP(別ウインドウ)

​国東半島の中央に位置する標高721メートルの両子山。そこから放射状に海へと下がる28の谷が、半島に刻まれています。大昔、谷には村ができ、来縄、田染、伊美、国東、武蔵、安岐という名が付けられました。この村を中心に発展した山岳仏教が六郷満山文化(ろくごうまんざんぶんか)と呼ばれています。そのうちの4つの郷が国東市にあり、六郷の中核を成していました。 

国東から世界へ

太古の昔から、神を信じてきた日本人ですが、6~7世紀の仏教伝来以降は、仏教文化も取り入れ、国家の中心思想としました。
神を仏とし、仏を神とする神仏習合文化は、その発祥の地である宇佐神宮・国東半島で最も輝かしくその華をさかせました。
互いの異教文化を認め合い、共存するという独特の思想・理念は、世界でもあまり例ををみない特異な文化といわれています。
その世界に誇れる文化を保存し、後世に残すために、世界遺産認定を目指す活動が、この国東の地を中心に活発に展開されています。​

祈りの道「峯入り」

峯入り
​​▲峯入り
かつては険しかった道も、現在はトレッキングコースとして歩ける部分もあります。​

 

六郷満山は、養老2年(718)仁聞菩薩によって開かれたといわれています。
仁聞菩薩は謎に包まれた人物で、宇佐神宮に祭られた八幡神の化身で、国東の山々で、70年におよぶ修行をしたという説があります。
その仁聞菩薩の教えに従い、現在も多くの修行僧が「峯入り」という修行で、仁聞菩薩の教えを実践しています。
僧たちは人々の暮らしと心の平和を願い、険しい道を歩き続けるのです。

六郷満山のなりたち

文殊仙寺仁王像
▲文殊仙寺仁王像
筋骨たくましく造形美豊かな仁王像。​

 

六郷満山の寺院は、本山・中山・末山に分けられ、さらに、本寺と末寺に分けられています。
「二十八本寺目録」によると、仁安3年(1168)には、65もの寺があったと記されています。
中でも、両子寺は、江戸時代、杵築藩の庇護のもと、六郷満山の総持院の地位を占めていました。
秋には美しい紅葉に彩られる山の中の寺院で、本尊である県指定有形文化財の木造阿弥陀如来座像や焼仏となった千手観音像を拝むことができます。

両子寺不動明王
▲両子寺不動明王
両子寺護摩堂のご本尊である大聖不動明王の作。鎌倉期の作。​

旧千燈寺仁王像
▲旧千燈寺仁王像
かつては隆盛を誇ったものの現在は廃寺となった千燈寺跡を護る仁王像。​