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教育長の部屋(2019年9月)

印刷ページ表示 更新日:2019年9月2日更新

「2学期を迎えて」

 2学期がスタートして1週間、そして9月に入った。
 多くの学校では、いよいよ運動会や体育大会に向けての練習が始まる。とりわけ体育を苦手としている子どもたちにとっての9月は、「苦しい月」の「ク・ガツ」かもしれない。
 ところで最近読んだ教育関係のニュースによると、この運動会・体育大会を廃止した市町もあるそうで、大きな理由は「授業時数の確保」だと言う。来年度から小学校でスタートする新学習指導要領では、3年生からの英語活動や英語の教科化、さらに新しくプログラミング教育の導入などが盛り込まれているため、これまでの授業時数では対応しづらくなっている。つまり、これまで運動会・体育大会で使っていた授業時数を、新しい学習に充てるために削らなければならなくなったというわけである。本市では、昨年度から夏休みを1週間短縮したが、それも授業時数確保のためである。この他、運動会・体育大会を午前中開催の「時短運動会」にしたり、家庭訪問を廃止したりという措置も広がりつつあるとあった。
 確かに運動会・体育大会は世界の中では珍しい行事であり、日本においても絶対に開催しなければならないという決まりはない。家庭訪問廃止は、共働き家庭の増加が理由のようである。
 それぞれの理由はわからないでもないが、これまで学校として続けてきた取組を「授業時数確保」のためだけに何もかも廃止していくという方向性はいかがなものかと思う。せめて運動会・体育大会の"できばえ"を目標にするのではなく、競技の見直しによる練習時間の短縮とか、家庭訪問に代わる保護者との連携案とか、これまでの取組に価値があるとするならば、廃止以外にも道はあるのではなかろうか。
 ある校長に運動会・体育大会の意義について聞いてみると、子どもたちにその運営や集団行動、子ども同士の相互評価等に取り組ませることによって、責任感や自主性、協働性が高まるという。もちろんそれは、教師側が粘り強く見守ったり、小さな成果でもほめたりすることで育つ。任せっ放しや教師主導では育たないことは言うまでもない。
 さて、私の個人的な運動会・体育大会を振り返ってみると、子ども時代は当然のことながら、競技では1位になりたい、チームで優勝したいと思うだけだった。徒競走で1位になるために、誰から聞いたのか、「1位になりたければ、前の夜に柿を食べるな!?」とか、「道路に落ちている牛のフンを踏むな!?」とかを耳にして、それを忠実に守ったものである。さらには、5・6年生の頃だったか、速く走るための「足袋」が流行って、クツの代わりに「足袋」を履いている子が何人かいた。さすがに「足袋」を履いている子はどちらかというと走るのが遅い子であり、子どもながらに、運動会・体育大会は一生に一度の大舞台だったのだろう。というのも、1位~3位までにはそれぞれの賞品と記章が与えられたので、それほしさも意欲につながっていたのだろう。玉入れ
 もちろん現在はそんな褒美は付いてこないが、子どもたちがそれぞれの力を出し合って成果を得る体験を積むということに、誰も異論はないはずである。