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市長コラム第47号「10年の時を経ても」

印刷ページ表示 更新日:2021年4月16日更新

3月11日午後2時46分。厳かにサイレンが響き渡ります。私達は、立ち上がり、静かに頭を垂れて多くの御霊(みたま)の安らかならんことを祈ります。
10年前のこの日、この時間、東北地方の太平洋沿岸を未曾有の大地震が襲いました。さらに、その後に発生した想像も出来ないような巨大な津波が、人々や建物を次々とのみ込み、多くの人の命を奪い、多くの建物や構造物を破壊しました。そして、未だに多くの人が行方不明のままなのです。
この日は、私にとっても忘れることの出来ない日でした。私は、その一週間前の3月4日に市長に就任したばかりで、慌ただしく各機関などへの挨拶回りや諸行事をこなす中、この日は私にとって初めての議会となる第一回定例会の開会日でした。
その日私は、市長に就任して初めての議会に臨み、緊張の中で所信表明や提案理由を述べ終わり、疲れ切って本会議場のあった安岐総合支所から旧本庁舎に戻り、議会対応のため応接室に各部長を始めとした幹部を集めていたのです。
その会議の最中、急にドアが開いて、秘書が「東北で大地震です。マグニチュード9です。」と大きな声で知らせたのです。それを聞いて当時の消防長だったと思うのですが「マグニチュード9!?そんなことあるか。」と大声を上げました。秘書の「でも、テレビで報道されています。」という言葉に、我々は、慌ててテレビの前に集まりました。
画面には、どこか大きな川が映り、その川を大きな波がどんどん遡っているのです。川の上流には橋が架かっていて、橋の上を自動車がどんどん走っています。
誰かが「ああ、アブねえ。津波が来る。」と大声を上げました。
そこには、正に映画を見ているような、現実のものとは思えないような映像が映し出されていました。
1960年にチリで起きた大地震では、太平洋の反対側の日本にまで津波が押し寄せ、やはり東北地方の太平洋沿岸に大きな被害をもたらしました。このとき、私は小学校6年生でした。ニュース等でこの津波のことを知りましたが、今のようにテレビが普及していなかったので、映像で現実の災害を見るなんてことはありませんでした。それだけに、今回の映像は大きな衝撃を持って私達の記憶に刻み込まれました。
特に、肉親や親友を失った多くの人々、行方不明の家族のいる人々、今回の津波によって引き起こされた原発事故で未だに故郷に帰れない人々にとって、この10年は、忘れ去るには短かすぎる年月だったでしょう。
そして、おそらくさらに10年後でも人々の記憶から消え去ることはないでしょう。

国東市長 三河 明史