本文
東堅来地区の文化財
東堅来 |
国指定 |
|||||
---|---|---|---|---|---|---|
No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
重文 |
建造物 |
国東町東堅来 |
個人 |
昭和29年3月20日 |
|
東堅来 |
県指定 |
|||||
No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
国東町東堅来 |
個人 |
昭和34年3月20日 |
|
東堅来 |
市指定 |
|||||
No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
史跡 |
* |
国東町東堅来 |
個人 |
昭和46年11月10日 |
|
02 |
有形 |
美術工芸 |
国東町東堅来 |
畑観音堂氏子 |
昭和46年4月10日 |
|
03 | 史跡 | * | 横穴古墳 | 国東町東堅来 | 個人 | 昭和38年1月27日 |
04 |
史跡 |
* |
国東町東堅来 |
個人 |
昭和46年3月31日 |
|
05 |
史跡 |
* |
横穴古墳→削除予定 |
国東町東堅来 |
個人 |
昭和55年6月1日 |
長木家宝塔
流麗な書体の長い刻銘があり、それによれば紀永貞が建立したものである。逆修の塔で、現在管理している長木氏は紀氏の後裔という。総高397cmに及ぶ長大なもので、建立当時のままの完形のものとしては、在銘の国東塔では最大のものであろう。石材は角閃安山岩。基礎は三重、最上重は四面とも3区に分かれ、それぞれ格狭間が刻まれている。この国東塔は首部と台座の反花にも奉納孔があり、虚な基礎の内側にも通じている。
銘文
去来生死本
無跡七十餘
年属夢中
這箇是誰
眞面目不成
地水火風空
干時
元亨元年<歳次 辛酉>(1321)
小春十八日
左衛門尉
紀 永 貞
起 立 之
大 工 僧
尊 口
敬 白
鳴板碑
銘文
(種子が文殊のもの)
右為悲母尼相當第三廻之忌辰造立如件
文保 三年二月廿七日(1319)
大願主 孝子 敬白
(種子が不動のもの)
為沙弥心蓮一周忌追善也
元應二年 庚申初夏六日(1320)
大願主 孝子等 各敬白
板碑(東堅来の板碑)
東堅来にある連碑。総高、向かって右166cm、左153cm、
銘文
若有重業障
無生浄土因
元應第三 卯月4日 大願主 沙爾西實
乗爾陀願力
必生安楽國
元應3年は、改元されて元享元年(1321)である。
安養寺聖観世音菩薩立像
奥畑にあり、木彫、金色に塗られ。総高94cm。蓮台の上に立つ。年代。作者不詳。棟札からみて正徳3年11月(1713)以前の象。
上棟堅来畑聖観音御堂一宇建立之事
文殊仙寺・・・・・・・
横穴古墳群
東堅来の国道213号線沿いにあり、古墳時代後期のもの。道路拡張時に入り口が削り取られた。
横穴古墳
塩屋にある。金属製の輪が1個出土した。石室が上下2段になっている。