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丸小野地区の文化財

ページID:0041162 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

shi

丸小野

市指定

NO.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

板碑(二基)

武蔵町丸小野

丸小野寺

昭和46年9月6日

02

有形

建造物

国東塔

武蔵町丸小野

丸小野寺

昭和54年7月1日

03

無民

丸小野子供修正鬼会

武蔵町丸小野

丸小野子供修正鬼会愛護少年団

昭和59年9月21日

04

有形

美術工芸

紙本著色十二天図

武蔵町丸小野

丸小野寺

昭和63年5月24日

05

有形

美術工芸

紙本著色両界曼荼羅図

武蔵町丸小野

丸小野寺

昭和63年5月24日

06

有形

美術工芸

紙本著色山王垂迹曼荼羅図

武蔵町丸小野

丸小野寺

昭和63年5月24日

07

有形

美術工芸

木造天部形立像

武蔵町丸小野

丸小野寺

平成17年2月18日

市内文化財インデックス

 

 板碑(二基)

 

医王山丸小野寺の板碑2基である。向って右のは総高160cm、幅47cm、厚さ20cm、康永元年(1342) の銘がある。左側のは総高176cm、幅53cm、厚さ22cmで康永2年(1343)とある。
共に南北朝前期に属する優れた作で、表面に「南無妙法蓮華経」とあり、この地方では他に例を見ない珍しいものである。

 国東塔

 

医王山丸小野寺山門前に国東塔が1基見られる。後世現地に移されたので失われている部分が多いのがおしまれる。
基礎は1重であるが当初は下方に2重程あったものと思われる。各面は2区に分けられているのみで格狭間は刻まれていない。
台座はないが、基礎上面の穴から判断して当初はあったものと考えられる。
等身は下部が相当細くなったで壺形で身部の肩の部分に小孔がみられる。笠は軒口一重の照屋根で反りはゆるく、軒ロの幅に比べて上部の幅が狭いため、尖った感じがする。上面には相輪を立てる為の穴がある。路盤以上は1石からなり、九輪の五輪目と六輪目の間で折れている。
最上端の火焔も欠けたものと思われる。露盤は各面を2区に分け各々格狭間を刻む。
現在総高は234cmだが、造立当初は3m前後の堂々たる大きさだったものと忠われる。石材は角閃安山岩を使用し、製作年代は南北朝末期と推定されている。

 丸小野子供修正鬼会

 

丸小野仲西、柿園地区では、往古より丸小野寺で行われる本来の修正鬼会とは別に、それを模して火防と五穀豊穣に合わせ子供の無病息災を祈顧する子供修正鬼会が行われている。起源は不詳であるが天保年間には既に行われていたという。
毎年2月第2日曜日、丸小野仲西、柿園地区が輪番で受け持つ座元と、近くの稲荷様を祀る大石の前の道場で行われる。

 紙本著色十二天図

 

護世天あるいは護方天としての12天は、顕教の場合の4天王の如く、密教において重要な役割を但って登場する。
天地日月の4天を除く8天は方位に従って割り当てられ譲世8天と呼ばれ、又天地2天を加えて10天と呼び、更に日天・月天が加わり12天となったものである。もともとこれらの諸天は一括して成立したものではなく、古い神話の中の神が次々と仏教にとり入れら
れて行ったもので、その際にも本来の使命は失わず、独立した天の集りとして定成していったので、それぞれの役割が付与されている。
丸小野寺のものは一幅に2天づつ描かれ大きさは絵の部分で縦78cm、横41cmあり、江戸時代のものと推定されており、12天すべてが存在する点で貴重である。東:帝釈天
東南:火天
南:焔摩天
西南:羅刹天
西:水天
西北:風天
北:毘沙門天
東北:伊舎邦天
天:梵天
地:地天
日:日大
月:月天

 紙本著色両界曼荼羅図

 

曼荼羅とは印度においては祭典用の土檀を築いて諸仏を配置したものを言い、中国、日本では密教の修法のため多くの尊像を一定の方式に基づいて描いた図像である。
幾種類もの曼荼羅の内、丸小野寺のものは両界曼荼羅で「大日経」と「金剛頂経」に基づき図示した「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」である。
この両界曼荼羅は密教教理の根本を示すものであり、密教寺院には欠くべからざるものである。
丸小野寺のものは欠損もあまりなく、当初の姿を保つている点で貴重である。
金剛界曼荼羅(絵の部分のみの大きさ)縦76cm、横60cm
胎蔵界曼荼羅(絵の部分のみの大きさ) 縦77cm、横62cm

 紙本著色山王垂迹曼荼羅図

 

丸小野寺山王垂迹曼荼羅は報恩寺のものと尊像、神像の配列などは異なっているが同じ主旨のものであり、丸小野寺においても比叡山にならい山王信仰をしていた。
丸小野寺山王垂迹曼荼羅は筆者、製作年次などに開する古記録などがないため不詳であるが、ただ掛け軸の裏面に山王講本尊と墨書きしてあることから丸小野寺に山王講の存在していたことは間違いない。
この曼荼羅は報恩寺のものと同様に神道曼荼羅の民間信仰の中における発達を見る土で貴重なものである。

 木造天部形立像

 

2躰ともに榧財の1本造りからなり、内刳のない彫眼像であり。所々に彩色の白下地が残り、当初は小像ではあるが、おおらかであどけない表情や量感のある肉取り、明快な衣文の刻み出しには平安後期の一本彫りによる在地仏師の作風をよく伝えている。

天部像1 像高52.2cm

天部像2 像高52.9cm

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