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千灯地区の文化財

ページID:0041739 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kenshi

千灯

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

史跡

千燈石仏

国見町千灯

個人

昭和32年3月26日

02

有形

建造物

石造国東塔(下払坊)

国見町千灯

千燈寺

昭和45年3月31日

03

有形

建造物

仁聞国東塔

国見町千灯

千燈寺

昭和47年3月21日

04

有形

美術工芸

木造如来坐像(千燈寺)

国見町千灯

千燈寺

昭和47年3月21日

05

史跡

千燈寺跡

国見町千灯

千燈寺

昭和47年3月21日

06

有形

建造物

千燈寺石造宝塔

国見町千灯

個人

昭和49年3月19日

07

有民

千燈寺修正鬼会面

国見町千灯

千燈寺

昭和52年3月31日

08

有形

美術工芸

千燈寺跡石造仁王像(2躯)

国見町千灯

個人

平成14年3月29日

千灯

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

千燈寺墓地国東塔

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

02

有形

建造物

千燈寺墓地国東塔

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

03

有形

建造物

千燈寺墓地国東塔

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

04

有形

建造物

大不動宝篋印塔

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

05

有形

美術工芸

石造不動明王像

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

06

有形

美術工芸

石造二童子像

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

07

有形

美術工芸

石造太郎天像

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

08

史跡

大不動石屋

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

09

史跡

尻付石屋

国見町千灯

個人

昭和39年2月27日

10

史跡

小不動石屋

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

11

史跡

太郎天石屋

国見町千灯

千燈寺

昭和39年2月27日

12

有形

建造物

西行戻し宝篋印塔1号

国見町千灯

千燈寺

平成4年3月31日

13

有形

建造物

西行戻し宝篋印塔2号

国見町千灯

千燈寺

平成4年3月31日

14

有形

建造物

河野家宝篋印塔

国見町千灯

個人

平成8年6月12日

15

有形

建造物

千燈寺墓地板碑

国見町千灯

千燈寺

平成8年6月12日

16

有形

建造物

千燈寺墓地角塔婆

国見町千灯

千燈寺

平成8年6月12日

17

有形

建造物

尻付岩屋回国供養塔

国見町千灯

個人

平成8年6月12日

18

有形

建造物

千燈寺跡回国供養塔

国見町千灯

千燈寺

平成8年6月12日

19

有形

美術工芸

下払坊不動三尊像

国見町千灯

千燈寺

平成8年6月12日

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千灯石仏

千灯石仏
国東市国見町大字千灯
「廿五菩薩来迎図」石仏で、高さ70センチ・幅160センチの板石に刻まれている。正面に阿弥陀仏跌座、右下に念仏行者往生を厨子と共に表現する。その前観青菩薩が蓮華を捧げ、勢至菩薩は両掌を合わせて新生の人を讃歌する。
この弥陀跌座・観音・勢至両菩醸の形態が膝を曲し、腰を浮かせる形式は高野山子院に遺る源信筆と称される25菩薩来迎図を模したものと推定できる。
また、他の弥陀随侍菩薩聖衆は紫雲の湧き立つ中に、種々の楽器を奏で、満面微笑して歌舞を奏し、にぎにぎしく来迎する様を彫刻している。鎌倉時代末から南北朝にかけての作と見られる。

石造国東塔(下払坊)

石造国東塔(下払坊)
千灯下払に千燈寺の末寺であった法教寺境内(下払坊跡)にある。基礎は3重で第3重の四面はそれぞれ2区に分かれ、形の良い格狭聞が刻まれている。塔身は普通空洞になっているが、この塔は首部の上部が少し凹められた程度で、塔身内部の空洞はない。
笠は照屋根。路盤の4面はそれぞれ2区に分かれ、格狭間を刻む。相輸の形もよく整っている。
石材は角閃安山岩。
造立は、南北朝時代初期と推定される。(総高265センチ)

仁聞国東塔

仁聞国東塔
伝に「仁聞六郷満山を遊化して千燈寺に入寂したり。」とあり、仁聞の墓と言われている。基礎は3重、第3重は図面をそれぞれ二区に分けるが、格狭間も連子もない。台座は反花のみ。塔身は茶壺形に近く、笠は照屋根。露盤の4面はそれぞれ二区に分ち、格狭間を刻む。相輪の請花は伏鉢の上に単弁で14弁の連花座を置いた形である。
九輪は1輪を残して中聞がなく、8輪から上部は銭っている。
相輸の欠失した中間約62センチを復原すれば総高は264センチ余りと推定される。
石材は角閃安山岩。南北朝時代と推定される。

木造如来坐像(千燈寺)

千燈寺の木造如来坐像
六郷満山寺院には珍しく洗練された都ぶりの仏像である。
檜材を用いた寄木造、彫眼の漆箔像で、左右2材を頭体の正中線で矧ぎ、さらに頭部を割り首とした造りになっている。膝前は横1材である。小粒に整った螺髪、切れ長の目に小さく引き結んだ口元。浅彫りではあるが、流麗な衣文など平安後期和様如来像の定型を踏襲しているが、やや長めの面相や体躯の肉取りに藤原仏にはない写実味があり、鎌倉時代に入ってからの造立と思われる。(像高51.5センチ)

千燈寺跡

千燈寺跡
天台宗六郷満山28か寺の内正宗分中山10か寺中の本寺で、末寺16か寺があった。寺号並びに山号の由来は「豊鐘善鳴録」の中に「聞甞与、華厳覚満体能行満友善。時人称之日五大徳。聞甞華厳覚満等登伊美五智窟。行不動法。時東北海龍王、欽仰其徳。献燈一千許。縁其霊応。寺名千燈寺。其号補陀落者以安千手眼像也」とある。
当寺は養老2年(718)仁聞の開基と言われ、文殊仙寺の寺記に「僧仁聞初千燈山を聞いて干燈寺を創立し、次いで文殊嶽を聞き、次に両子岳に、及び漸次六郷に跨り28渓に各1寺を建立して自開祖となれり。」とある。
本堂跡に向かう参道には、見事な石垣を積み上げた坊跡が残り、本堂跡の前には、県下でも珍しい半肉彫りの石造仁王像が立ち、さらに奥には講堂の跡、奥の院や五輪塔群がある。奥の院の西の五輪塔群の中に、仁聞の墓と言われる国東塔をはじめ1000基以上の塔がある。
養老2年(718年)開基

千燈寺石造宝塔

千燈寺石造宝塔
千燈寺奥の院に「仁聞入寂の岩屋」と言われる巌窟に安置されていたが、山火事で基礎を破損し、現在は千燈寺本堂で保管されている。
基礎は後補で、塔身は茶室形、首都の上部から塔身内を円形にくり抜いて奉納孔とし、塔身側面を幅7センチ、縦20センチ余に開いた口がこの孔に通じている。横の口には蓋がつけられているが、上部の口は笠でぴったり覆われるように、また笠裏には首部をはめる浅い彫り込みが作られている。笠の傾斜はゆるやかで軒幅は大きく形由良い真反りである。相輪は笠の上に付着した薄い露盤を残すのみ。砂岩製で総高59センチ。各部に見られる古式の姿から平安時代末の製作と推定される。

千燈寺修正鬼会面

千燈寺修正鬼会面
六郷満山天台宗寺院特有の法会である修正鬼会で用いられた面である。
荒鬼2面、鈴鬼男1面、鈴鬼女1面の計4面。面裏には慶長15年(1610年)に宗明という人物が制作したとの墨書があり、確実に修正鬼会に用いられた面としては、最古の遺品である。国東半島では最古。
荒鬼面は渋塗りらしく一木角で、牛耳に似た耳が特徴の牙の生えた鬼面である。
鈴鬼面は男女白面で、いわゆる鬼面ではない。
仕上げは胡粉塗りで、頭上に和紙のこよりで作った幣を被る。

千燈寺跡石造仁王像(2躯)

千燈寺跡石造仁王像

銘はないが、鎌倉時代の作と判定されている。1枚石の半肉彫りは全国でも珍しい。
鎌倉時代の作らしく、勇海な姿は素晴しい。

  • 右(総高190センチ 110センチ)
  • 左(総高193センチ​ 110 センチ)
  • 石材 角閃安山岩

千燈寺墓地国東塔

千燈寺墓地国東塔

 桃山時代の国東塔である。(高さ163センチ)

千燈寺墓地国東塔

千燈寺墓地国東塔
室町時代末期の国東塔である。(高さ173センチ)

千燈寺墓地国東塔

千燈寺墓地国東塔
室町時代の国東塔である。(高さ115センチ)

大不動宝篋印塔

大不動宝篋印塔
応永7年(1400年)の銘のある宝篋印塔である。国見町で最も古い。大不動岩屋の下にある。(高さ97センチ)

石造不動明王像

石造不動明王像
小不動石屋にあったものを移設。
脇仏 コンガラ童子 セイタカ童子(高さ48センチ)
千燈寺にて礼る。

石造二童子像

石造二童子像
不動明王の脇仏 
矜羯羅(コンガラ)童子
制吨迦(セイタカ)童子

石造太郎天像

石造太郎天像
有翼
太郎天岩屋にあったもの。(高さ49センチ)
千燈寺に礼す。

大不動石屋

大不動石屋
 国東市国見町千灯

尻付石屋

尻付石屋
国東市国見町千灯。
木像仏六体の形がくずれている。

小不動石屋

小不動石屋
国東市国見町千灯

太郎天石屋

太郎天石屋
国東市国見町千灯

西行戻し宝篋印塔1号

西行戻し宝篋印塔1号
国東市国見町千灯(高さ240センチ)

西行戻し宝篋印塔2号

西行戻し宝篋印塔2号
国東市国見町千灯(高さ165センチ)

河野家宝篋印塔

河野家宝篋印塔
国東市国見町千灯(高さ102センチ)

千燈寺墓地板碑

千燈寺墓地板碑
国東市国見町千灯(高さ44センチ)
他に多数の板碑 二連 四連等小板碑

千燈寺墓地角塔婆

千燈寺墓地角塔婆
国東市国見町千灯(高さ60センチ)

尻付岩屋回国供養塔

尻付岩屋回国供養塔
天保7年(1856年)(高さ186センチ)
千手観音石造

天下和讃 日月清明 回国供養
奉導師 補陀落山 千燈寺 法印 豪珍和尚
石工 坂井利三良口良
村長 河野徳作
世話人 矢野平右衛門 芹川光蔵千燈寺 現住豪真法代
天下泰平 日月清明
泰納大乗妙典 六十六部 吉五郎
肥前島原 行者周蔵口右衛門
宿主 角右衛門 正治郎
石工 山田村 只吉
泉州 周佐
江戸 了松
泉州 国蔵
豊後 吉五郎
筑後 和治
越後 重右衛門
長州 正治郎
讃州 金蔵
泉州 藤女
       秀

千燈寺跡回国供養塔

千燈寺跡回国供養塔
文政7年(1824年)(高さ 213センチ)

下払坊不動三尊像

下払坊不動三尊像
国東市国見町千灯
木造仏像(高さ156センチ(台座込み))
江戸時代 彩色

別仏 右 48センチ
       左 53センチ

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