本文
朝来地区の文化財
朝来 |
国指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
重文 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
個人 |
昭和29年3月20日 |
|
朝来 |
県指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
護聖寺 |
昭和34年3月20日 |
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02 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
護聖寺 |
昭和59年3月30日 |
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03 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
八坂社 |
昭和59年3月30日 |
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04 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
岩尾組 |
昭和59年3月30日 |
|
朝来 |
市指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
護聖寺 |
昭和55年6月15日 |
|
02 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
個人 |
昭和56年3月25日 |
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03 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
歳神社 |
昭和56年3月25日 |
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04 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
個人 |
昭和56年3月25日 |
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05 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
護聖寺 |
昭和56年3月25日 |
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06 |
有形 |
建造物 |
安岐町 朝来 |
八坂社 |
平成13年7月16日 |
宝塔(釜ヶ迫国東塔)
紀氏
基壇2重、基礎は側面を2区にして2重輪郭をとり、格狭間を入れる。首部には奉納孔がある。
建武2年(1335年)
大願主
紀友房 同守房
紀中子 同乙子
右為慈父悲母所
奉造立如件
建武二年 乙 亥 二月十二日
各敬白
建武2年に紀氏一族が父母のために造立したことが銘文より読み取れる。(高さ167センチ)
護聖寺板碑
(右)正応四年卯月廿七(1291年)
(左)壽歴四年三月九日(1329年)
(右)種子(弥陀) 種子(観音)
正応四年卯月廿七
種子(勢至)
孝子敬白
(左)種子(三字とも右に同じ) 壽歴4年3月9日
室町時代初期の応永11年(1404年)に国東町泉福寺の無着禅師の弟明厳禅師により曹洞宗に転宗され、興国山護国寺と改称される。板碑は天台宗時代の護閏寺の一様相を現す良資料である。(正面左 総高198センチ、正面右 総高200センチ)
護聖寺石殿
角閃石安山岩。基礎。柱笠。中台(請花、単弁六弁)朱の彩色が残る。軸部(前面面各4体、右側2体、計10体、十王左側面1体地蔵)。屋根(入母屋造り、妻懸魚)軒裏棰を作る。屋根が大きく軸部をすっぽり覆っている感じである。 四面体柱状、入念に剖んだ大きな入母屋の屋倒恨の下には前背両函に四体づつ、右側面に2体、計10件の十王像を、右側面には地蔵一体を彫り出す。中台には赤い彩色が見られる。年代は室町期と推定される。(総高220センチ、軒幅106センチ)
八坂社板碑
完形。頭頂部・額部・碑身部・基礎。
元弘3年(1333年)(鎌倉末)
八坂社は宇佐神宮行幸会の1泊の地。朝来野氏の総廟である。
岩尾板碑
幅広くどっしりした板碑である。碑身は幅70〜93cm、厚さ17〜22センチ、高さ125センチを測る。額部の両側は面取りされ、碑身には大きく種子が薬研彫りされている。碑身下部中央に「元亨四年(1324年)七月三日」と紀年名が陰刻している。石材は凝灰岩。鎌倉時代末期の造立で、時宗関係のものとしては最も古い。
護聖寺一石五輪塔
鎌倉時代〜南北朝時代
こぶりであるが、形は整い、ひかえめながら人の心をひきつけるものがある。(総高66センチ)
塔野板碑
僅かに前屈。頭頂部が幅の割合に高さ低い。稜形なく殆ど円頂。
永和2年…1376年〜南北朝
(種子)きりーく(弥陀永和二 丙 辰 丑七十五
年紀が判然として良作である。(総高195.5センチ)
歳神社板碑
歳神社境外に造立されている。碑面を三段に分け、上2段に3体ずつ六地蔵を刻む。(総高150センチ)
種子(地蔵)□□
満一□環□□
大蔵五輪塔
隣家の渋谷商店が自発的に毎朝供え物をしている。
角閃安山岩。空・風・火・水・地輪、鎌倉時代(推定)
地輪の4面に4仏の種子の墨書がある。
朝来地区最古と称され、鎌倉時代の造立といわれている。地輪(台石)の4面に4仏の種子が墨書されているというが、後世の加筆である可能性が高い。
護聖寺宝篋印塔
基礎2重。2重目1面1ヶ格狭間。塔身正面龕、地蔵陽刻。他3面月輪。笠。相輪部6輪。室町時代造立推定。
同寺参道付近にあったものを盗難を恐れ境内に移す。(総高185センチ)
五霊社
五霊社内には如来立像、菩薩立像2躯、天部立像の計5躯を安置している。如来立像には明暦2年(1656年)の紀年銘があり、他は平安後期(12世紀)の像立と思われる。
祭神の菅原神、大年神、吉備神は、元朝来村字年の神鎮座の頃、明治9年(1876年)五霊社に移転する。
(正面三間275センチ、側面二間200センチ、本体正面・高さ574センチ)