本文
岩戸寺地区の文化財
岩戸寺 |
国指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
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01 |
重文 |
建造物 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和25年8月29日 |
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02 |
無民 |
* |
国東町岩戸寺・成仏 |
修正鬼会 保存会 |
昭和52年5月17日 |
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岩戸寺 |
県指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
|
01 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和28年4月20日 |
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02 |
有形 |
建造物 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和43年3月29日 |
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03 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和51年3月30日 |
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04 |
史跡 |
* |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和54年5月15日 |
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岩戸寺 |
市指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
|
01 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和38年1月27日 |
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02 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
山口共有 |
昭和40年10月1日 |
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03 |
有形 |
建造物 |
国東町岩戸寺 |
個人 |
昭和46年3月31日 |
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04 |
有形 |
建造物 |
国東町岩戸寺 |
個人 |
昭和51年3月30日 |
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05 |
天然 |
* |
国東町岩戸寺 |
六柱社 |
昭和51年3月30日 |
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06 |
史跡 |
* |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺 |
昭和51年3月31日 |
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07 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
個人 |
昭和53年12月26日 |
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08 |
有形 |
建造物 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺区 |
昭和55年6月1日 |
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09 |
史跡 |
* |
国東町岩戸寺 |
個人 |
昭和55年6月1日 |
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10 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
岩戸寺区 |
昭和58年4月26日 |
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11 |
有形 |
美術工芸 |
国東町岩戸寺 |
長慶寺 |
平成14年6月6日 |
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12 |
有形 |
建造物 |
国東町岩戸寺 |
個人 |
平成14年6月6日 |
岩戸寺宝塔
銘文のある国東塔としては最古、しかも気品のある最優秀作である。
岩戸寺 総高3.29m。塔身の刻銘により弘安6年(1283)に納経のために造立。各部の均整がとれ気品があり、優美な塔である。
鎌倉時代 弘安6年
(総高 3.29m)
銘
右志者為営山平安
佛法興隆廣作修善
乃至法界平等利益
弘安6年9月 日(1283)
大勧進金剛佛子尊忍
造立者 専 日 坊
岩戸寺・成仏寺修正鬼会
岩戸寺・成仏寺修正鬼会
安貞2年(1228)長享3年(1489)観修の記録があり、国東半島の六郷満山天
台諸寺で行われる最大の正月修法会である。現在、国東町で岩戸寺と成仏寺で隔年に実施。
かつて隆盛をきわめた国東半島の天台宗寺院(六郷満山)では古くから修正会の最終日に鬼会を執行してきた。養老年間、仁聞菩薩の創始といわれ、吉祥悔過の修法を厳修して豊年・福徳を招来する正月の修法会である。
おおむね岩戸寺修正鬼会と同じである。現状天念寺、岩戸寺の荒鬼は2体が出ているが、成仏寺だけは三体出ている。写真は岩戸寺の清水の舞。
木造薬師如来坐像
12世紀前半頃の制作と思われる。
榧材・螺髪彫出、髪際一文字彫眼、頭体部は一木で彫られる。前腰・膝はよせかけている。衣分流麗で線は浅いがノミ跡は強く鋭い。
(高さ 95.4cm)
石幢
室町時代 文明10年
幢身の刻銘
灌少僧都豪隆馬頓證菩提弟子敬白
文明十年 10月9日(1478)
豪範馬現在安穏後生善處
六地蔵像と阿弥陀3尊像及び閻魔王の陽刻、基礎2重・8角、台座の蓮弁は第二重の一石となる。円形の中台は複合蓮弁を彫りだし、宝珠下の請け花・伏せ鉢ともに蓮弁を刻み、その中間をくくりめで引き締めている。宝珠・火炎は損傷が目立つ。
銘文から豪隆の菩提のためと豪範の逆修のため造立されたもの。
(総高 2.53m)
国東地方での最優秀作
岩戸寺石造金剛力士立像
高さ 阿形 140cm
吽形 135m
銘文
(阿形像背面)
作者清晋
奉造立豊後国六郷山岩戸寺仁王之事院主藤原都登丸
文明10年戊成10月2日大願主豪範
(吽形像背面)
奉造立豊後国六郷山訪蔵報飯郵泌執
文明十年戊戌10月2日大願主豪範(1478)
石立山岩戸寺
郷満山末山本寺。寺名は仁安年間(1166-88)の「六郷山二十八本寺目録」にも見えている。弘安6年(1283)9月の銘をもつ国東最古の国東塔や、文明10年(1778)の国東最古の仁王像、大門坊跡の本堂、講堂、奥の院の六所権現・薬師堂などがある。仁王像銘には四坊の名が刻されているが、室町期(1326―1573)の「六郷山定額院主目録」には「天の岩戸寺徒12坊岩戸寺30佛30番神」とあり、かって12坊を有していたことがわかる。
薬師如来坐像
岩戸寺 総高96cm。榧材の一木作り。手首先、膝前は矧ぎつけ。柔和な中に理智的な厳しさが浮かぶ顔、慈顔、目尻、唇のようすなど威厳がある。浅彫の流れるような衣文の状態などから、平安末期の作と推定される。
三十仏の仁王像
三十仏入り口にあるもので六所権現の鳥居の前に建っている。
岩戸寺総高214cm。石工安田九肋、佐藤茂助の銘があり、力みなぎる筋肉、裳の流れなど細かく気を配った秀作である。文政5年(1822)の作。
国東塔
総高 245cm 相輪を欠いているが、これがあれば320mと推定される。
東に15度傾斜している。
素朴な中に力強さを感じる。
古来より虎御前と言われてきたところである。
宝篋印塔
鎌倉中期の形態をしている。
完全な形の宝筐印塔。家屋の東側に埋没していたのを、昭和49年、掘り出し、現在地に移転した。
(総高 212cm)
檜
延久年間、六柱社創祀の際植えられたと伝えられている。
樹高35m 周囲3.78m
一の枝まで14m、一木。
講堂
坊中。木造四ツ屋根造り、草葺平屋建、総高654cm。五間四方の正方形。10m四方の板縁の中に一段高く12本の柱に囲まれた内陣をもつ特殊な建物である。
延享2年再建の棟札があるが、現在の建物は天保6年のものらしい。
総高654cm 柱の高さ125cm
桁の高さ100cm
床下106cm
石造仁王像
山神社鳥居(享保3年)の前にあって右の台石に金剛、左の台石に力士の刻字がある。
岩戸寺字葛原、山神社鳥居前に立つ。総高164cm。
銘
石立山岩戸寺法印豪海
庄屋 吉武善三郎
組頭 吉武定右ヱ門
文政11年(1828)の建立である。
ガイデ橋
県道国東〜富来〜岩戸寺〜赤根〜高田線の完成当時立道よりの連絡路として建設したもの。安山岩、アーチ型。(長さ 9m、幅265cm)
横手の小川橋と同じ作者か。
岩戸寺古城跡
岸壁に囲まれたほぼ円形の山塞城趾
押淵。文禄3年(1594)大友の遺臣鬼木左衛門尉平信家が立て篭り、文禄四年黒田長政の大軍と激戦し、多数の将兵が討死。信家の一娘にまつわる哀話あり。面積2町2反歩。
石燈籠
元和4年(1618)
総高 1.97m 笠幅62cm 笠高44cm、台高 60cm
右発意者為武長久・・・・
奉寄進石燈籠一本之事
竹田津 藤原重之
市内にある数多くあるの石燈籠の中で製作年代が最も古い。
木造不動明王立像
檜材の寄木造りで玉眼、彩色像。寄せ木は前後二材で内刳りを施し、頭部を体部に差し込む。面相、技法、持ち物などから時代推定。
南北朝末期(14〜15世紀)
(総高 329cm)
吉武家宝篋印塔
「中の坊」(岩戸寺)と称される吉武家の庭に奉られており、宝珠は火炎を配し、9輪の相輪・請け花等も丁寧に施され、欠損部分はない。