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岩戸寺地区の文化財

ページID:0041062 印刷ページ表示 更新日:2023年7月1日更新

kunikenshi

岩戸寺

国指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

重文

建造物

岩戸寺宝塔

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和25年8月29日

02

無民

岩戸寺・成仏寺修正鬼会

国東町岩戸寺・成仏

修正鬼会

保存会

昭和52年5月17日

岩戸寺

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

美術工芸

木造薬師如来坐像

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和28年4月20日

02

有形

建造物

石幢

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和43年3月29日

03

有形

美術工芸

岩戸寺石造金剛力士立像

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和51年3月30日

04

史跡

石立山岩戸寺

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和54年5月15日

岩戸寺

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

美術工芸

薬師如来坐像

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和38年1月27日

02

有形

美術工芸

三十仏の仁王像

国東町岩戸寺

山口共有

昭和40年10月1日

03

有形

建造物

国東塔

国東町岩戸寺

個人

昭和46年3月31日

04

有形

建造物

宝篋印塔

国東町岩戸寺

個人

昭和51年3月30日

05

天然

国東町岩戸寺

六柱社

昭和51年3月30日

06

史跡

講堂

国東町岩戸寺

岩戸寺

昭和51年3月31日

07

有形

美術工芸

石造仁王像

国東町岩戸寺

個人

昭和53年12月26日

08

有形

建造物

ガイデ橋

国東町岩戸寺

岩戸寺区

昭和55年6月1日

09

史跡

岩戸寺古城跡

国東町岩戸寺

個人

昭和55年6月1日

10

有形

美術工芸

石燈籠

国東町岩戸寺

岩戸寺区

昭和58年4月26日

11

有形

美術工芸

木造不動明王立像

国東町岩戸寺

長慶寺

平成14年6月6日

12

有形

建造物

吉武家宝篋印塔

国東町岩戸寺

個人

平成14年6月6日

市内文化財インデックス

 

 岩戸寺宝塔 

 

銘文のある国東塔としては最古、しかも気品のある最優秀作である。
岩戸寺 総高3.29m。塔身の刻銘により弘安6年(1283)に納経のために造立。各部の均整がとれ気品があり、優美な塔である。
鎌倉時代 弘安6年
(総高 3.29m)

右志者為営山平安
佛法興隆廣作修善
乃至法界平等利益
弘安6年9月 日(1283)
大勧進金剛佛子尊忍
造立者 専 日 坊

 岩戸寺・成仏寺修正鬼会

 

岩戸寺・成仏寺修正鬼会
安貞2年(1228)長享3年(1489)観修の記録があり、国東半島の六郷満山天
台諸寺で行われる最大の正月修法会である。現在、国東町で岩戸寺と成仏寺で隔年に実施。
かつて隆盛をきわめた国東半島の天台宗寺院(六郷満山)では古くから修正会の最終日に鬼会を執行してきた。養老年間、仁聞菩薩の創始といわれ、吉祥悔過の修法を厳修して豊年・福徳を招来する正月の修法会である。
おおむね岩戸寺修正鬼会と同じである。現状天念寺、岩戸寺の荒鬼は2体が出ているが、成仏寺だけは三体出ている。写真は岩戸寺の清水の舞。

 木造薬師如来坐像

 

 12世紀前半頃の制作と思われる。
榧材・螺髪彫出、髪際一文字彫眼、頭体部は一木で彫られる。前腰・膝はよせかけている。衣分流麗で線は浅いがノミ跡は強く鋭い。
(高さ 95.4cm)

 石幢

 

室町時代 文明10年
幢身の刻銘
灌少僧都豪隆馬頓證菩提弟子敬白
文明十年 10月9日(1478)
豪範馬現在安穏後生善處

六地蔵像と阿弥陀3尊像及び閻魔王の陽刻、基礎2重・8角、台座の蓮弁は第二重の一石となる。円形の中台は複合蓮弁を彫りだし、宝珠下の請け花・伏せ鉢ともに蓮弁を刻み、その中間をくくりめで引き締めている。宝珠・火炎は損傷が目立つ。
銘文から豪隆の菩提のためと豪範の逆修のため造立されたもの。
(総高 2.53m)
国東地方での最優秀作

 岩戸寺石造金剛力士立像

 

高さ 阿形 140cm
   吽形 135m
銘文
(阿形像背面)
作者清晋
奉造立豊後国六郷山岩戸寺仁王之事院主藤原都登丸
文明10年戊成10月2日大願主豪範
(吽形像背面)
奉造立豊後国六郷山訪蔵報飯郵泌執
文明十年戊戌10月2日大願主豪範(1478)

 石立山岩戸寺

 

郷満山末山本寺。寺名は仁安年間(1166-88)の「六郷山二十八本寺目録」にも見えている。弘安6年(1283)9月の銘をもつ国東最古の国東塔や、文明10年(1778)の国東最古の仁王像、大門坊跡の本堂、講堂、奥の院の六所権現・薬師堂などがある。仁王像銘には四坊の名が刻されているが、室町期(1326―1573)の「六郷山定額院主目録」には「天の岩戸寺徒12坊岩戸寺30佛30番神」とあり、かって12坊を有していたことがわかる。

 薬師如来坐像

 

岩戸寺 総高96cm。榧材の一木作り。手首先、膝前は矧ぎつけ。柔和な中に理智的な厳しさが浮かぶ顔、慈顔、目尻、唇のようすなど威厳がある。浅彫の流れるような衣文の状態などから、平安末期の作と推定される。

 三十仏の仁王像

 

三十仏入り口にあるもので六所権現の鳥居の前に建っている。
岩戸寺総高214cm。石工安田九肋、佐藤茂助の銘があり、力みなぎる筋肉、裳の流れなど細かく気を配った秀作である。文政5年(1822)の作。

 国東塔

 

総高 245cm 相輪を欠いているが、これがあれば320mと推定される。
東に15度傾斜している。
素朴な中に力強さを感じる。
古来より虎御前と言われてきたところである。

 宝篋印塔

 

鎌倉中期の形態をしている。
完全な形の宝筐印塔。家屋の東側に埋没していたのを、昭和49年、掘り出し、現在地に移転した。
(総高 212cm)

 檜

 

延久年間、六柱社創祀の際植えられたと伝えられている。
樹高35m  周囲3.78m
一の枝まで14m、一木。

 講堂

 

坊中。木造四ツ屋根造り、草葺平屋建、総高654cm。五間四方の正方形。10m四方の板縁の中に一段高く12本の柱に囲まれた内陣をもつ特殊な建物である。
延享2年再建の棟札があるが、現在の建物は天保6年のものらしい。
総高654cm 柱の高さ125cm
桁の高さ100cm
床下106cm

 石造仁王像

 

山神社鳥居(享保3年)の前にあって右の台石に金剛、左の台石に力士の刻字がある。
岩戸寺字葛原、山神社鳥居前に立つ。総高164cm。

石立山岩戸寺法印豪海
庄屋 吉武善三郎
組頭 吉武定右ヱ門
文政11年(1828)の建立である。

 ガイデ橋

 

県道国東〜富来〜岩戸寺〜赤根〜高田線の完成当時立道よりの連絡路として建設したもの。安山岩、アーチ型。(長さ 9m、幅265cm)
横手の小川橋と同じ作者か。

 岩戸寺古城跡

 

岸壁に囲まれたほぼ円形の山塞城趾
押淵。文禄3年(1594)大友の遺臣鬼木左衛門尉平信家が立て篭り、文禄四年黒田長政の大軍と激戦し、多数の将兵が討死。信家の一娘にまつわる哀話あり。面積2町2反歩。

 石燈籠

 

元和4年(1618)
総高 1.97m 笠幅62cm 笠高44cm、台高 60cm

右発意者為武長久・・・・
奉寄進石燈籠一本之事
竹田津 藤原重之
市内にある数多くあるの石燈籠の中で製作年代が最も古い。

 木造不動明王立像

 

檜材の寄木造りで玉眼、彩色像。寄せ木は前後二材で内刳りを施し、頭部を体部に差し込む。面相、技法、持ち物などから時代推定。
南北朝末期(14〜15世紀)
(総高 329cm)

 吉武家宝篋印塔

 

「中の坊」(岩戸寺)と称される吉武家の庭に奉られており、宝珠は火炎を配し、9輪の相輪・請け花等も丁寧に施され、欠損部分はない。

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