本文
見地地区の文化財
見地 |
県指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
国東町見地 |
個人 |
昭和34年3月20日 |
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02 |
有形 |
建造物 |
国東町見地 |
個人 |
昭和47年3月21日 |
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見地 |
市指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
国東町見地 |
小松神社 |
昭和38年1月27日 |
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02 |
有形 |
建造物 |
国東町見地 |
小松神社 |
昭和38年1月27日 |
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03 |
有形 |
建造物 |
国東町見地 |
玉林寺 |
昭和46年11月10日 |
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04 |
天然 |
* |
国東町見地 |
小松神社 |
昭和51年3月30日 |
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05 |
天然 |
* |
国東町見地 |
玉林寺 |
昭和51年3月30日 |
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06 |
天然 |
* |
国東町見地 |
小松神社 |
昭和51年3月30日 |
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07 |
有民 |
* |
国東町見地 |
小松神社 |
昭和51年3月30日 |
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08 |
無民 |
* |
国東町見地 |
国東神楽保存会 |
昭和55年6月1日 |
岡板碑
見地 総高2.68m。巨大、入念な作りで秀作である。碑身正面上部の種子はキリーク(弥陀)、中3分の1に5行にわたる銘文があり、僧然秀が建武元年(1324)亡父13回忌供養のために造立したことがわかる。
銘文
右志者亡父迎十三年之
遠忌祈四八相之妙果所篤
者八軸之妙文所刻者大日遍
照形外資幽得道廻施不恨
建武元年四月七日然秀 敬白(1324)
板碑(中屋敷板碑)
地名を冠して中屋敷板碑と呼んでいる。碑身上部中央に種子マン(文殊)の薬研彫り、その下中央に「正中二年十月□日下旬」(1325)、その横に「孝子大法師□□大法師然□」の陰刻銘。碑面横に弧を画くような丸味があり、総高125cmに対し幅54〜58cmの幅広で、重厚感に富む。(□□の中に真然とあり)。
五輪塔、板碑、宝塔群
見地横山地区の西側台地にあり、五輪塔・宝塔等22基が並ぶ。平家の落武者の墓と伝える。神社祭典毎に神前に用供をささげ神職社殿参拝、平家の落ち武者の墓と伝える。
伝平重盛墓ほか五基
見地尾崎の山中に、五輪塔が5基ある。中央、一段高い所に高さ110cmの塔(伝重盛墓)、その下方に五輪塔が並ぶ。寿永年間、(1882―1885)平貞能は平重盛の分骨を見地山東光寺に納骨したと伝えられる。
慶応四年この墓地を清掃した時、五輪塔の中から小刀一振りを得たが、鞘腐のまま社殿に奉納したが、鋒先一寸は欠損していたとの記録あるも現在はない。昭和40年から墓前祭を行っている。
石造宝篋印塔
見地玉林寺境内にあり、総高330cm。無銘、塔身は無地で、上下に差し込む形式になっている。
くろがねもち
小松神社
神社境内にあり、立ちがかり周囲260cm。町内まれにみる巨木。
もちのき科、暖地の山林に自生する常緑喬木である。雌雄異株。スダシイの中に混在している。
蘇鉄
周囲3m、推定樹齢400年
貞亨2年(1685)夢悔禅師は諸国雲水の旅に出るとき、一株の蘇鉄を庭に植えた。我臨終の時はこの蘇鉄枯れぬべしとして出発した。後に琵琶湖竜花村に曹洞宗長福寺を創建開山す。77歳で入寂。やがて蘇鉄が枯れてが、新芽を葺き、文化5年(1808)これを玉林寺に移したという。
ホルトの木
小松神社
神社境内にあり、立ちがかり周囲3.41m、樹高15m
推定樹齢200年。
手洗鉢
小松神社
興水の文字が大きく刻まれ、見事な龍の彫刻もある。1石3段の石段がついている。天保13年(1843)の銘がある。
国東神楽
直伝岩戸神楽で宇佐派の流れを組む。人皇44代元正天皇の養老三年山吹村、初八坂社の創始祭りに宇佐から宮司として来た時宇佐楽を奏し、その後楽に合わせて舞技を研究し、下成仏・岩屋・富来・来浦の社家の方々によって創始されたが一時中止した。
その後成仏神楽が残り、昭和40年に再興、現在に至る。
内容は初代から玉造大神を中心に神話の伝説、神国の由来、敬神思想の普及に重点を置いた。番数は30あり。