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来浦地区の文化財

ページID:0041061 印刷ページ表示 更新日:2023年7月1日更新

kenshi

来浦

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

来浦宝篋印塔

国東町来浦

個人

昭和49年3月19日

来浦

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

美術工芸

宝物面(5)

国東町来浦

八坂神社

昭和38年1月27日

02

有民

神楽衣装側付

国東町来浦

八坂神社

昭和46年3月31日

03

有民

棟札

国東町来浦

八坂神社

昭和46年3月31日

04

史跡

五輪塔群

国東町来浦

大聖寺

昭和51年3月30日

05

有形

建造物

神明社鳥居

国東町来浦

八坂神社

昭和53年12月26日

06

史跡

鬼の岩屋古墳

国東町来浦

個人

昭和55年6月1日

07

有形

建造物

来浦八坂神社第一鳥居・附拝み石

国東町来浦

八坂神社

平成7年4月13日

市内文化財インデックス

 

 来浦宝篋印塔

 

角閃安山岩
(総高 206.5cm)

基礎は3重で、第3重の上部に3段の段形を造り出してある。塔身の4面には4仏の種子を薬研彫りしてあるほか、多数刻銘のあとがある。笠は下部に3段、上部にも3段の段形を造り出してある。
4隅の隅飾り突起は2弧で渦巻文様がついている。相輪は国東塔と同様の形式のものであるが、宝珠を囲む火焔はない。露盤の4面はそれぞれ2区に分れ格狭間を刻んである。よく整った秀作で、鎌倉末か南北朝初期のものと推定される。

 宝物面(5)

 

 「お宝面祭」の行事に使われるお面
明治40年代と大正の初め、来浦谷に疫病がはやりその時内神の祇園様に無病息災・家内安全等の諸祈願をこめて行われるこの祭りは春と夏に行われる「春のお願ごめ」「夏のお願ほどき」がある各面に角があり、黒、朱色のかぶりがついている。
1号 26.0cm 19.0cm 黒色
2号 27.3cm 17.2cm 朱黒色
3号 25.2cm 18.5cm 黒色
4号 27.0cm 25.0cm 黒色
5号 26.5cm 19.4cm 朱色

 神楽衣装側付

 

文和8年3月の銘がある(1355)。
16弁の菊の紋がある
宮崎東賀の字あり。

夏のお接待日の翌日虫干しをする。

 棟札

 

八坂社は葛原浜殿に鎮座されていたのを元禄2年現在地に奉祀されたという。
全部で20枚ある。
貞治四年(1365)
応仁二年(1468)
文明十年(1478)
大永八年(1528)
天正四年(1576)
その他

 五輪塔群

 

東西18m、南北11.5mの長方形の区域に整理されている。
建立当時から現地にそのままのものもあるが大多数のものは明治年間に付近のものを集めたものである。
二階堂六丸の墓といわれる。かつてこの北浦辺に覇をとなえていた浦辺衆の伊勢・猪俣氏等の墓碑であるともいう。

 神明社鳥居

 

石造安山岩の角柱で三輪鳥居型式
安永3年6月吉日(1774)。
願主 宮永河内守政吉

 鬼の岩屋古墳

 

一坪の広さを有し正方形の完全な形をしているが、封土が薄くなり光線がもれている。
昭和三十二年発行の郷土史年表に記載されている。
入り口幅 1m
長さ   1m90cm
広さ   2m平方メートル

 来浦八坂神社第一鳥居・附拝み石

 

宝暦12(1762)年6月建立
高さ5m、柱間3.75m、柱廻り1.60m、笠木長さ6m、貫5.30m
作者:(来浦)四邨氏子 石工不明

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