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武蔵町内の文化財(文書)

ページID:0041164 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

shi

文書

市指定

NO.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

美術工芸

清原文書

武蔵町

個人

昭和46年9月6日

02

有形

美術工芸

安見文書

武蔵町

個人

昭和46年9月6日

03

有形

美術工芸

丹生文書

武蔵町

個人

昭和46年9月6日

【志和利】
参考のため重複掲載

有形

美術工芸

森文書

武蔵町

個人

平成17年2月18日

市内文化財インデックス

 

 

 清原文書

 

元禄13年吉弘楽が吉広村に復興した経緯を記録したもので3部よりなっている。
その1
元禄初年吉広村では数年の長きに亙り甚大な食作物の被害が続き之れを不審に思った郡奉行宮内新四郎により上聞に遣し域主より吉弘楽取立の御意があった経緯を記録し又、復興を御喜びになり楽太鼓33個を頂戴し、更に毎年御酒3升宛下賜致すべき旨が記されている。郡奉行の御下問に対し庄屋高原徳左衛門は凡そ100年ばかり中絶しているとお答え申している。
その2
奉行御見分の上決定した楽庭の位置を示してある。
その3
復興に貢献した者の氏名等が記されている。即ち復興の仰せを蒙った?広村庄屋徳左門1人、都甲松行での控請師藤兵衛、他3人、吉広村の楽人本頭音頭高原徳左衛門、他8人の氏名が記されている。

 安見文書

 

 安見文書は旧県社、椿八幡神社の宮司安見家に伝わる古文書である。八幡神社の縁起を書いた「椿八幡大縁起旧規略」や、社殿の棟札の写し等、更に中世に於いては武蔵田原氏と八幡宮との聞係、江戸時代になってからは杵築藩主松平氏との関係等を示す文書類である。

 丹生文書

 

丹生氏は現在の大分市大字丹生字佐野の出である。この丹生は豊後水道の北端に位置しており、別府湾に注ぐ大野川の河口近くの台地で旧石器を出した遺跡のあるところとして知られている。
「丹生文書」は大友氏より丹生氏に宛てたもの五通と他一通である。
1、大友親敦 銘義 知行預ヶ状
2、大友義鑑知行預ヶ状
3、大友義鑑知行預ヶ状
4、宗麟 大友義鎮 安堵状
5、大友義統安堵状
6、飛鳥井雅俊傳授蹴鞠図写
この内先の五通は20代義鑑、21代義鎮、22代義統と大友氏末期三代の文書として注目されるし、又、当時の武家勢力の根本をなす土地の状況をうかがい知ることの出来る貴重な史料といえる。

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