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野田地区の文化財

ページID:0041740 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kenshi

野田

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

美術工芸

木造如来立像(万徳寺)

国見町野田

万徳寺

昭和44年3月22日

02

有形

美術工芸

木造釈迦三尊像

国見町野田

平等寺講中

昭和44年3月22日

03

有形

美術工芸

木造二天王立像

国見町野田

平等寺講中

昭和44年3月22日

04

有形

美術工芸

木造観音菩薩立像

国見町野田

全光寺講中

昭和47年3月21日

05

有形

建造物

十王堂板碑

国見町野田

全光寺講中

平成4年3月27日

06

有形

建造物

真覚寺国東塔

国見町野田

個人

昭和47年3月21日

野田

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

白禿板碑1

国見町野田

個人

昭和39年2月27日

02

有形

建造物

白禿板碑2

国見町野田

個人

昭和39年2月27日

03

有形

建造物

下松庚申塔

国見町野田

堀池講中

平成4年3月31日

04

有形

建造物

下松板碑

国見町野田

個人

平成4年3月31日

05

有形

美術工芸

万徳寺石造観音像

国見町野田

万福寺講中

平成4年3月31日

06

有形

建造物

甲斐家国東塔

国見町野田

個人

平成8年6月12日

07

有形

建造物

万徳寺宝篋印塔

国見町野田

新涯区長

平成8年6月12日

08

有形

建造物

平等寺宝篋印塔

国見町野田

堀池講中

平成8年6月12日

09

有形

建造物

吉武家宝篋印塔

国見町野田

個人

平成8年6月12日

10

有形

建造物

石堂宝篋印塔

国見町野田

個人

平成8年6月12日

11

有形

建造物

小平板碑

国見町野田

個人

平成8年6月12日

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木造如来立像(万徳寺)

万徳寺の木造如来立像
​国東市国見町野田
天台宗眉宮山万徳寺に安置されていた。天文五年頃までは千燈寺の末寺であったが、現在無住の為、大分県立歴史博物館で保管されている。槍材による内刳りなしの一木彫成像で、両腕の大部分を含めて、足下の蓮肉まで共木から彫出する。
丸く小づくりの面相は童顔を思わせるが、肉付きの良い胸から下半身にいたるプロポーションには量感がある。腹部を前に突き出し、上半身を後に引く側面観には、平安前期一木彫の名残りをみせるが、形式的な衣文や背面を省略するところなど、平安後期の地方色が顕著である。特に条線による波文状・同心円状の衣文には特色がある(像高98.5センチ)

木造釈迦三尊像

平等寺の木造釈迦三尊像
国東市国見町野田
千燈寺の末寺で六郷満山霊場の1院である平等寺の釈迦堂に安置されている。
中央に釈迦坐像、向かって右に文殊菩薩像、左に普賢菩薩像の3尊1具からなる。
各像とも内刳りのない榧材の一木造であるが、膝及び両腕肘から先は別木を矧ぎつける。
高めの肉髻、厚い膝、中尊の左腋の柄衣白折り返しなどに古様がみられ、後世の追銘であるが、文殊菩薩像々底の「康平7年(1064)」の墨書銘を首肯させるものがある。
一木造の地方色の濃い国東平安仏の中にあって、最も古様かつ典型的な作例といえよう。
像高は、釈迦像82.5センチ、文殊像67.5センチ、普賢像56センチ。(平成6年文殊像、普賢像は盗難され現在不在)

木造二天王立像

平等寺の木造二天王立像
国東市国見町野田
千燈寺の末寺で六郷満山鉱山樹の1院である平等寺の釈迦堂に釈迦3尊像と共に安置されている。いずれも榧材の一木造となっており、両肩で腕白材を矧ぎつける。各持ち物及び右腕を挙げている像の沓先は後補である。
大ぶりで肉厚な像容、面相の特徴など、手法は釈迦3尊像と1具のものであり、同時の制作と言える。 平安時代の作といわれている。
像高は、右腕を挙げている像が92.1センチ、左腕を挙げている像が104.2センチ。

木造観音菩薩立像

 
国東市国見町野田
光源寺の横にある全光寺仏像収蔵庫に安置されており、槍材の1木造で、割り矧ぎ、彫眼目彩色像である。頭体を両耳中央を通る線で前後に割り、内制りを施し、両腕と足先(いずれも後補)を別木矧付けとする。
頭髪を双髻に結うのは古様であるが、丸くふくよかな面相や1重折り返しの裳、膝下をU字型に横切る天衣の浅く類型化した彫法には、平安末期の地方的特徴が顕著である。(像高99.7センチ)
全光寺は現在廃寺であるが、六郷満山中山本寺千燈寺の末寺の1つであったという。

十王堂板碑

十王堂板碑
国東市国見町野田
文和4年(1355年)

梵字
文和 二 二 年
彼岸 大願主 妙口
(四年の四を忌避して二二に分ける)
南北朝時代文和は南朝年号で北朝では正平7年の年号があり、この地も南朝と北朝が入り乱れている。
石材角閃石安山岩(総高257センチ、幅30センチ)

真覚寺国東塔

真覚寺国東塔
大間山真覚寺跡の薮の中にある。
この国東塔には銘があり、「正平七年二月廿九日云々」と記されている。
基礎は2重で、第2重は4面をそれぞれ2区に分かれ、格狭間が刻まれている。台座は反花のみで複弁の8葉。塔身は円筒形、笠は照屋根。露盤の4面には2区に分かれ、それぞれ格狭間が刻まれている。
相輸が1部欠失している。
石材は角閃安山岩で、南北朝時代中期の造立である。
形態の整った落ち着きのある秀作である。(総高168センチ)

白禿板碑1

白禿板碑
国東市国見町野田(高さ183センチ)

白禿板碑2

白禿板碑(写真右)
国東市国見町野田
写真右の背の低い板碑(高さ105センチ)

下松庚申塔

下松庚申塔
国東市国見町野田
石殿型(寄棟)一面六臂青面金鋼
江戸時代、享保6年(1721年)
2童子、3猿、2鶏、宝珠 経巻

建立千時 享保6年(1721年)
十二月四日
講中十三忌

下松板碑

下松板碑
国東市国見町野田
墨書文字不明(高さ168センチ、幅268センチ)
大きな石の側面を削り五連碑をつくる。

万徳寺石造観音像

万徳寺石造観音像
​国東市国見町野田(高さ201.5センチ)
石造観音像 綺麗な姿の十一面観音像。
総高197センチ、仏総高80センチ
天明8年(1788)戊申二月
西園三十三号 為三世
            村中 供養
            施主 新涯

甲斐家国東塔

甲斐家国東塔
国東市国見町野田にある室町中期の国東塔である。(高さ205センチ)

万徳寺宝篋印塔

万徳寺宝篋印塔
国東市国見町野田(高さ126センチ)
宝篋印塔
江戸末期
最も小柄

平等寺宝篋印塔

平等寺宝篋印塔
国東市国見町野田の平等寺にある宝篋印塔高さ228センチ、台84センチ角
室町時代か古風の趣あり。

吉武家宝篋印塔

吉武家宝篋印塔
国東市国見町野田にある宝篋印塔(寛永18年(1641年))

石堂宝篋印塔

石堂宝篋印塔
国東市国見町野田(高さ187.5センチ)

小平板碑

小平板碑
国東市国見町野田(高さ167センチ)

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