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小城地区の文化財

ページID:0041155 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kenshi

小城

県指定

NO.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

天然

スダシイ原生林

武蔵町小城

宝命寺

昭和47年3月21日

02

有形

建造物

宝命寺国東塔

武蔵町小城

宝命寺

昭和51年3月30日

小城

市指定

NO.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

宝篋印塔

武蔵町小城

宝命寺

昭和54年7月1日

02

有形

建造物

入峰石

武蔵町小城

宝命寺

昭和54年7月1日

03

有形

美術工芸

石造金剛力士立像

武蔵町小城

宝命寺

昭和54年7月1日

市内文化財インデックス

 

 スダシイ原生林

 

小域山の頂上東側に面する2.5ヘクタールの地域で、宝命寺の本堂境内域で、ヤブコウジやベニシダを伴う、うっそうたるスダシイの原生林である。
ユズリハやクスノキが多く、この原生林は学術上、景観上の価値が高く、貴重な植物群落として、昭和46年3月21日、県指定の天然記念物となり、保護されるようになった。

 宝命寺国東塔

 

本堂正面を上った所、右側に巨大な国東塔が1基立っている。基礎は三重で、第三重には格狭間を刻んであり、台座は反花のみで塔身は茶壷形をなし、笠は照屋根で、軒口は2重になっている。露盤は各面とも2区分され、格狭間を刻んであり、相輪は他の国東塔と比
較して請花から第1の輪までの間隔が広いが、全体としては形もよく、総高約4mという重量感に富む均整のとれた国東塔である。
造立の年代は、鎌倉時代末あるいは南北朝時代と推定されている。

 宝篋印塔

 

小城山室命寺仁王像前の1基である。
総高132cm、基礎第一重幅74cm、高さ18cm、第二重幅50cm、高さ30cmで上端は3段の段形をなし各面を2区に分かち各々格狭間を刻む。
塔身は、幅、高さ共30cmで表面に墨書が認められるが、これは西面を下に置きかえると阿弥陀如来の種子キリークと読めそうである。
笠は幅53cm、高さ43cmで下方3段、上方3段の段形で最上段を露盤となし、各面を2区に分けるが格狭聞は刻まれていない。
隅飾突起は多少の傾斜を見せ、表面に渦巻き状の文様が認められるが、4つの内一つはすべて欠損し、一つはわずかにその跡を残し、他の2つは大体残っている。
相輪部は下部請花と第1輪目をわずかに残すのみでそれ以上は欠損している。高さ11cm。
小型であり各部分に欠損が目立つが、仲々見事な形をしており、格狭間や隅飾突起などから判断して南北朝時代の製作と推定されている。石材は角閃安山岩。

 入峰石

 

国東半島の六郷山寺院には、僧侶の修業に霊場を巡る「峯入りの行」というのがある。その行で、霊場に入る時、必ず足を掛けて通る石が、どの霊場にも門前近くに設けられてある。
宝命寺のものは高さ130cm、底辺の1辺が80cm程のほぼ三角鍾の大型の塔で、護摩堂のしも手約40mの道端右側に置かれてある。

 石造金剛力士立像

 

宝命寺本堂への参道途中鳥居前にある。
阿形像は像高156cmで、左手はまげて握り、右手は下方にのばして握る。口には歯、牙が見える。吽形像は像高155cmで、右手はまげて胸の前で開き、左手は阿形同様下方にのばして握る。口は閉じているが歯、牙が見える。両像共上半身には何も付けてなく、下半身にのみ衣が見え、胸と腹との境の筋肉は珠文状に表現され、腕と体には左右共に隙間があり、顔は正面を向くが腰をわずかに外に振っている。
基礎の前面に銘文を刻む。
これにより延享元年(1744)慧教院貞元の代に古市の塩屋伊右衛門により建立されたことがわかる。

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