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富清地区の文化財

ページID:0041173 印刷ページ表示 更新日:2023年6月1日更新

kunishi

富清

国指定 

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

史跡

三浦梅園旧宅附墓

安岐町富清

個人

昭和34年5月31日

02

重文

美術工芸

三浦梅園遺稿

安岐町富清

個人

昭和44年6月20日

富清

市指定 

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

西福寺国東塔

安岐町富清

西福寺

昭和56年3月25日

市内文化財インデックス

 

三浦梅園旧宅附墓

三浦梅園の旧宅附墓
寄棟造り、茅葦、北西面庇、南西墨便所棟附属、淺瓦葦
1780年頃
旧宅の設計図と銘が図版に書き込まれていた。
惟将安永四乙未春如月上澣 小幡蔵次郎 主
(桁行19.5メートル、梁間9.9メートル、平面積192.621平方メートル)
この建物の平面図については、安永4年(1755年)の銘がある建設時のものと思われる図版が残されており、梅園が指示しながら旧宅を造らせたものと思われる。
平成14年度から18年度に史跡三浦梅園旧宅保存修理事業を実施

三浦梅園遺稿

三浦梅園の遺稿
豊後三哲のひとり三浦梅園が天地と人間の条理を解明するために生涯を通して書いた遺稿である。研究の分野は生物学、医学、政治経済、政治道徳、文学。経済学書の『価原』は「悪貨は良貨を駆逐する」というイギリスの経済学者グレシャムが見出した法則と同じ考えである。
『玄語』、『贅語』、『敢語』、『東遊草』『同異集』『同名辨』『豊後跡考』『死生譚』、『名字私議』、『身生餘譚』、『塾制』、『価原』、『梅園読法』、『萬意』、『多賀墨卿君にこたふる書』、『通語』、『養生訓』、『西遊日記』、『帰山録』上下、『造物余譚』『梅園拾葉』、『愉腕録』上下、『五月雨抄』、『詩轍』、『消閑一得』、『梅園文稿』、『孤筇』上下、『詩集』、『梅園詩稿』、『浦子手記』

西福寺国東塔

西福寺の国東塔
角閃安山岩。基礎3重。1重は数石、第3重目1面3区に分かって格狭間。台座は反花のみ。塔身、笠、相輪、露盤各面二区、九輪部は8輪まで、以上欠く、宝珠なし。
基礎の格狭間は各区の中程から下に刻んであることは他に例を見ない。
塔身首部小孔に蓋あり。一部に損傷はあるが年代も古く良作。台座の反花は肉厚い複弁。笠は軒2重。
西福寺は臨済宗東福寺派応永19年(1412年)の開創。
室町時代初期(総高194センチ)。

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