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横手地区(神宮寺)の文化財
横手・神宮寺 |
県指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
建造物 |
国東町横手 |
神宮寺 |
昭和33年3月25日 |
|
02 |
有形 |
美術工芸 |
国東町横手 |
神宮寺 |
昭和44年3月22日 |
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03 |
有形 |
美術工芸 |
国東町横手 |
神宮寺 |
昭和44年3月22日 |
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04 |
有形 |
美術工芸 |
国東町横手 |
神宮寺 |
昭和51年3月30日 |
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05 | 有形 | 美術工芸 | 絹本著色十一面観音来迎図 | 国東町横手 | 神宮寺 | 平成30年2月6日 |
横手・神宮寺 |
市指定 |
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No. |
区分 |
細区分 |
名称 |
所在地 |
所有者 |
指定年月日 |
01 |
有形 |
美術工芸 |
国東町横手 |
神宮寺 |
昭和55年6月1日 |
|
02 |
有形 |
美術工芸 |
国東町横手 |
神宮寺 |
昭和55年6月1日 |
石造宝塔
一般には神宮寺国東塔と呼んでいる。総高334cmで、石材は角閃安山岩が用いられている。
三重の基礎で最上重の四面には2個ずつの格狭間が刻まれている。台座は反花のみで一重複弁の8葉。
塔身は中央がふくらんで高さの割合に径の大きい円筒形で、上部が下部よりやや大きい。塔身の刻銘によると
建武3年(1336)8月に良法によって祈願のために造立されたものである。
銘文
右志趣者為天下太平萬代安
寧当山繁昌所願成就乃至法
界平等利益
建武三年八月(1336)、造立者 良法 敬白の銘あり
懸仏(4)
4面のうち1面の裏板に、正応五年(1292)の墨書銘がある。懸仏は神鏡に由来するといわれ、しだいに鋳造した仏像を銅版に貼付するようになる。御正体として、神社にまつられる例が多い。神宮寺のものも、近くの山頂にあった嶽ノ権現の御正体と伝えられる。鋳造製の千手観音・聖観音などを一尊ずつ配し、花瓶を鋲止めにする。正応5年銘懸仏の吊り金具は、獅噛座の完全な形としてはわが国でもごく古いものという。最大のものは直径30.7cm。像高18.8cm
正應5年3月(1292) 日刑部平安国
密教法具
江戸時代中・末期頃の製作にかかるものと思われる密教法具である。普通天台宗・真言宗で潅頂その他の修法時に、修法壇に配して使用する。法具を配して壇を形成したものを密教壇供と呼ぶが、その配列は修法の目的や壇前に安置された本尊によって異なる。神宮寺は六郷満山寺院の1つで歴史も古い。制作年代は新しいが、往時の密教法具が残っていない現在、まとまって残っている点で貴重である。
神宮寺懸仏
南北朝時代と思われる4面である。うち1面は、同寺蔵の正応5年の懸仏とほぼ同時期の作とも考えられる。径29.3cmで聖観音像に花瓶1対を配する。鍍金のあとがうかがえる。他は11面観音、千手観音を貼付する。獅噛座(しかみざ)吊金具は,わが国でも古いものだという。(1292)
鬼会面
鬼会面は、5面あり、災払鬼1、荒鬼1、鎮鬼1、鈴鬼2、修正鬼会の時使用していたものである。修正鬼会は、戦国時代中止されていたが、細川候の時代に復元し明治の末年まで続けられていた。大正の初めより中止したが昭和27年旧正月6日、古式により修正鬼会を開催したが1年で中止した。なお、修正鬼会の装束及び用具一式も収蔵している。
木造仏像立像焼仏
明治29年2月失火で、講堂の本尊及び脇侍諸菩薩は焼仏と化し、現在は、本堂前保管庫に収蔵してある。本尊薬師如来像の高さ175cm。