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横手地区(神宮寺)の文化財

ページID:0041124 印刷ページ表示 更新日:2023年7月1日更新

kenshi 

横手・神宮寺

県指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

建造物

石造宝塔

国東町横手

神宮寺

昭和33年3月25日

02

有形

美術工芸

懸仏(4)

国東町横手

神宮寺

昭和44年3月22日

03

有形

美術工芸

密教法具

国東町横手

神宮寺

昭和44年3月22日

04

有形

美術工芸

神宮寺懸仏

国東町横手

神宮寺

昭和51年3月30日

05 有形 美術工芸 絹本著色十一面観音来迎図 国東町横手 神宮寺 平成30年2月6日

横手・神宮寺

市指定

No.

区分

細区分

名称

所在地

所有者

指定年月日

01

有形

美術工芸

鬼会面

国東町横手

神宮寺

昭和55年6月1日

02

有形

美術工芸

木造仏像立像焼仏

国東町横手

神宮寺

昭和55年6月1日

市内文化財インデックス

 

 石造宝塔  

 

 一般には神宮寺国東塔と呼んでいる。総高334cmで、石材は角閃安山岩が用いられている。
三重の基礎で最上重の四面には2個ずつの格狭間が刻まれている。台座は反花のみで一重複弁の8葉。
塔身は中央がふくらんで高さの割合に径の大きい円筒形で、上部が下部よりやや大きい。塔身の刻銘によると
建武3年(1336)8月に良法によって祈願のために造立されたものである。
銘文
右志趣者為天下太平萬代安
寧当山繁昌所願成就乃至法
界平等利益
建武三年八月(1336)、造立者 良法 敬白の銘あり

 懸仏(4)

 

 4面のうち1面の裏板に、正応五年(1292)の墨書銘がある。懸仏は神鏡に由来するといわれ、しだいに鋳造した仏像を銅版に貼付するようになる。御正体として、神社にまつられる例が多い。神宮寺のものも、近くの山頂にあった嶽ノ権現の御正体と伝えられる。鋳造製の千手観音・聖観音などを一尊ずつ配し、花瓶を鋲止めにする。正応5年銘懸仏の吊り金具は、獅噛座の完全な形としてはわが国でもごく古いものという。最大のものは直径30.7cm。像高18.8cm  

正應5年3月(1292) 日刑部平安国 

 密教法具 

 

 江戸時代中・末期頃の製作にかかるものと思われる密教法具である。普通天台宗・真言宗で潅頂その他の修法時に、修法壇に配して使用する。法具を配して壇を形成したものを密教壇供と呼ぶが、その配列は修法の目的や壇前に安置された本尊によって異なる。神宮寺は六郷満山寺院の1つで歴史も古い。制作年代は新しいが、往時の密教法具が残っていない現在、まとまって残っている点で貴重である。

 神宮寺懸仏

 

 南北朝時代と思われる4面である。うち1面は、同寺蔵の正応5年の懸仏とほぼ同時期の作とも考えられる。径29.3cmで聖観音像に花瓶1対を配する。鍍金のあとがうかがえる。他は11面観音、千手観音を貼付する。獅噛座(しかみざ)吊金具は,わが国でも古いものだという。(1292)

 鬼会面

 

 鬼会面は、5面あり、災払鬼1、荒鬼1、鎮鬼1、鈴鬼2、修正鬼会の時使用していたものである。修正鬼会は、戦国時代中止されていたが、細川候の時代に復元し明治の末年まで続けられていた。大正の初めより中止したが昭和27年旧正月6日、古式により修正鬼会を開催したが1年で中止した。なお、修正鬼会の装束及び用具一式も収蔵している。

 木造仏像立像焼仏

 

 明治29年2月失火で、講堂の本尊及び脇侍諸菩薩は焼仏と化し、現在は、本堂前保管庫に収蔵してある。本尊薬師如来像の高さ175cm。 

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