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池波正太郎と言えば、「鬼平犯科帳」などの時代小説で有名ですが、食べ物に関するエッセイを多数書いています。
特に「食卓の情景」という本は、氏がこれまでに食べ歩いた料理や母親の料理について紹介しながら、料理を通して人のつながりや人生観を書いています。
氏のエッセイには及ばないが、まずはかつての私の家の「食卓の情景」を書いてみます。
こうして書き並べて現代の食卓と比べてみますと、何ともつつましく、情けなくもなります。
しかし一方で、現代の「食卓」は確かに豊かな食材と味にあふれているのかもしれませんが、「こしょく」(「孤食」「個食」「固食」「小食」「粉食」など)と称されるように、最近は子どもたちにとっては、ある意味、味気のない「食卓」になっていると言えるのかもしれません。
ましてや今回の新型コロナウイルス禍で臨時休校を余儀なくされた子どもたちは、学校給食の機会も奪われました。子どもたちに与えられた昼食が菓子パンや即席ラーメンだけだったという話も聞きました。
テレビやゲームで時間を過ごし、食べ物は豊富にあってもお菓子や栄養バランスの取れない食事で過ごした子どもたちは、ちょっとふっくらして学校に戻ってきたということも耳にしました。
問題は新型コロナウイルス禍の中だけなら仕方がないとして、そうでない時期も、こういった「食卓の情景」が子どもたちの「食卓」だとすると大きな問題だと考えます。
贅沢な食卓を望むのではありません。
つつましくても、また毎日ではなくても、ひと手間かけた料理こそが、子どもたちの体と心を育てるのだと思います。
もちろん多くの家庭がそういったご努力をしているということも聞いてはいますが・・・
さて将来、子どもたちはどんな「食卓の情景」を思い出すのでしょうか?
