本文
(故)重光葵元外務大臣の遺徳を偲び、後世にその功績を伝えるために建てられたのが「山渓偉人館」です。
重光葵氏は明治20年7月29日、大野郡三重町において、当時大野郡長であった父直愿と母松子の次男として生まれます。しかし、母松子の実家(重光家本家)に子どもがなかったため葵氏が養子(明治31年)となり重光家26代目となります。
杵築中学校から熊本第五高等学校(現熊本大学)へ、明治44年東京帝国大学卒業と同時に外交官補となり、日本の外務省の第一人者としての道を歩みます。歴代内閣の外務大臣を務めますが、昭和20年東久邇内閣の時ミズリー号艦上で降伏文書に調印し、A級戦犯として巣鴨へ行くことになります。昭和23年極東裁判にて禁固7年とされ、27年3月に追放解除となり、のち政界の道へと進みます。
大分県から衆議院に3回当選する中、29年鳩山内閣の副総裁兼外務大臣を務め31年の国連総会において、「日本は東西の懸け橋となる」という有名な演説をしました。
葵氏は重要な歴史場面に立ち会った証人であり、幾多の重要な使命を果たした人でもあります。
葵氏を偲ぶため、「山渓偉人館」には戦中、戦後の歴史を証明する貴重な遺品の数々が展示されています。
【主な展示品】巣鴨日記原本、戦争資料、旧宅近くの墓地、スクラップ、巣鴨内作成手工芸品等
名称 | 国東市山渓偉人館 |
---|---|
所在地 | 〒873-0222 国東市安岐町下山口567番地3 |
開館時間 | 午前10時~午後4時 |
入館料 | 高校生以上100円、中学生以下50円 |
休館日 | 月・火曜日(祝日の場合は翌日)、 年末年始(12月29日~1月4日) |
問い合わせ | 電話番号:0978-67-1003 |