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「文殊耶馬」が国指定名勝に指定されました!!
六郷満山寺院の一つである文殊仙寺を中心とした名勝「文殊耶馬」が、平成30年10月15日(月曜日)の官報告示により、正式に国の名勝に指定されました。
文殊仙寺は国東半島において唯一、役小角による開基を伝えています。一方で、六郷満山としては、養老年間(717~724年)に仁聞菩薩によって開基されたと伝え、布教を主とする末山本寺でした。
その文殊仙寺を取り巻く風致景観は、江戸時代に製作された「紙本著色文殊仙寺境内図」(大分県指定有形文化財)に描かれ、豊後聖人と称えられる三浦梅園が「峨嵋山十四境」として高く評価しています。
このように江戸時代の人々にも素晴らしい景観として認識されていた事実が高く評価されました。
文殊耶馬とは?
文殊耶馬とは、文殊仙寺周辺に広がる岩山やウラジロガシを中心とする自然林などがおりなす、優れた風景を指します。
文殊耶馬の特徴としては、江戸時代に描かれた「紙本著色文殊仙寺境内図」が今に伝えられていることです。
この絵図には文殊耶馬の範囲がもれなく描かれています。
絵図に年代の記載はありませんが、宝永3年(1706年)ないし同4年(1707年)と推測されています。(『名勝に関する特定の調査研究事業報告書(大分県の名勝に関する特定の調査研究事業)』文化庁文化財部記念物課発行より)
この素晴らしい景観を一枚の絵に収めようとしていた江戸時代の目にも、この景観が絶景として感じられていたことでしょう。
300年の時を経た今、「わが国のすぐれた国土美」として認められました。
※絵図と文殊耶馬の比定写真は一部を抜粋したものです。
紙本著色文殊仙寺境内図と文殊耶馬 [PDFファイル/334KB]
文殊耶馬と三浦梅園
江戸時代中期の哲学者で、帆足万里、広瀬淡窓とともに豊後三賢に数えられる三浦梅園は、文殊耶馬の景勝(優れた景色)に「峨嵋三十四境」を以下のように定め、その景勝を称えたといいます。
【峨嵋山十四境】
獅子窟、甘露門、指月亭、華鯨楼、小角祠、龍王祠、仙人掌、天女洞、十里嶂、濯花渓、聴猿巌、霊鷲巌、小門山、玉女島
また、明治37年(1904年)に作成された『大分懸社寺名勝圖録』の「峨眉山文殊仙寺境内圖」にも十四境の名称が掲載され、近代名勝のさきがけとなりました。
文殊耶馬(イメージ)
文殊耶馬に含まれるお堂や岩山の風景
秋(紅葉)の風景
その他
今回、大分県豊後高田市の「中山仙境」も同時に国指定名勝に指定されました。
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