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国東市の産業別従業者数をご存じでしょうか。多い順で、製造業39.3%、医療・福祉14.6%、卸売業・小売業13.6%、建設業6.2%、農林漁業5.3%、サービス業(他に分類されないもの)5.3%、宿泊業・飲食サービス業4.9 %などとなっています(令和3年経済センサス―活動調査結果より)。他の自治体に比べて製造業の従業者が多い背景は、昭和55年に始まった「豊の国テクノポリス構想」の恩恵によるものです。
昭和46年、大分空港が国東市に移転したことが大きな変化の始まりとなりました。昭和54年には、海上空港である新しい大分空港を国際貨客空港に拡大し、空港周辺50kmの区域に、空輸を主な輸送手段とする先端産業を誘致して、新たな企業集積を図る「臨空工業地帯構想」が打ち出され、そして、昭和55年、当時の通産省が発表した「テクノポリス構想」に手を上げる形で、昭和59年に全国26地域の一つに指定されました。その後、新しい大分空港は3000m滑走路に延長され、周辺の環境整備も進められました。その結果、国東市にはキヤノンやソニーなど、先端技術分野の大企業が進出し、「豊の国テクノポリス構想」の基盤が整って行ったのです。
これらの計画を推し進めたのは、大分県出身で元通産省の官僚だった平松守彦知事です。平松知事は昭和54年の就任以来、均衡ある大分県の発展を目指して、県北・国東地域「豊の国テクノポリス構想」の他に、県南地域の豊かな水産資源を活用する「マリノポリス構想」、大野川流域の農業と観光を中心とした「リバーポリス構想」、県西部の森林資源を活用する「グリーンポリス構想」など、「大分地区新産業都市計画」と併せて、5つの地域づくりプロジェクトを推し進めました。
豊の国テクノポリス構想の中心自治体であった国東市には、現在の大分キヤノンやソニーセミコンダクタマニュファクチャリングの他、先端技術産業を中心に多くの企業進出があり、現在も「ものづくりのまち」として、各種の産業や雇用創出の基盤となっています。これらの企業の中には、独自の技術力で国内トップシェアを誇る企業も多く、近い将来、大分空港の宇宙港化が実現した際には、宇宙関連企業との連携により、さらなる発展の可能性を秘めています。半世紀前に産声を上げたテクノポリスの恩恵を未来へとつなげて行きたいと思います。